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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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タグ:ワット・ヤイ・チャイ・モンコン ( 2 ) タグの人気記事

本格的テーマパークといえばそのとおりで
d0081682_16205380.jpg さて、いよいよ本堂である。巨大な寺院が目の前にドン!と出現しているその事実。端から端までエキゾチックな光景が広がる。口からひとりでに「すげえや」という言葉がもれるのだった。
 東京の某ネズ○ーランドみたいだね。という声がそこここでささやかれ、聞こえてくる。かくゆうオレもちょっとだけ思った。しかし本当は順序が逆で、○ズミーランドが、ここのような遺跡寺院をモデルにしているのだ。
 なんにせよエキゾチックオリエンタリズムには心が浮き立ち、惹きつける引力があるのだと云わざるを得ない。

d0081682_16211561.jpg 本堂(というよりは塔か)は高さにして十数メートル、普通の建物にして3、4階程度(多分)の高さにある回廊まで登ることができる。階段は地面から一直線である。見るからにきつそうな行程ではあるが、しかし、ここまできて挫折するのもいかがか、というわけでもちろん登るわけだ。
d0081682_16214381.jpg 登ってみれはもちろんそれだけの成果はあって、周囲が一望できる絶景を得ることができるのであった。高い建物というものがほとんどない場所である。見渡す限りの田舎町、森、そして点在する塔。
 目線を下に下ろすとそそり立つ仏の頭がある。そしてさらに寺院をぐるり取り囲む仏像が小さく見える。
 異国の風景である。しかしけして見慣れないものでもない不思議な既視感。

 ところで、本堂内には井戸のような穴が開いているのであった。それがなんのためにあるのかはわからないが、その井戸を中心に祠のようになっており、薄暗い中、1メートル程の高さの仏が並んでいる。
 しかしここでの目玉は、天井にびっしりはりついている蝙蝠だったかもしれない。祠を覗き込む人、入り込む人の気配を感じて飛び回る蝙蝠に悲鳴をあげる人が続出であった。オレは別に蝙蝠に驚くほど不慣れではないし(家の近所を飛んでるし)、逆に可愛いじゃないかと思うくらいではあるのだけれど、しかし未知のウィルスを媒介する生物のひとつであることも知っているので、そんなにフレンドリーにお付き合いしたいとも思わない。とりあえず、こんにちわ、そしてさようなら。ということである。

d0081682_16233923.jpg 塔をおりて一周する。上から眺めたとおり、2メートル強はあろうかという大仏が列をなしてオレを出迎えている。塔上からはフィギュアのような感じだった彼らではあったが、実際に目の前にすれはその大きさはやはりすごい。圧倒される。
d0081682_16221057.jpg 一応に灰褐色の仏ばかりかと思っていたのだが、ちょうど反対にまわると5メートル程の白い立像がいた。彼のまわりを脇侍が取り巻いている。おそらくはちょうど説法の最中なのだろう。立像仏の目前には西洋風の庭園のような生垣になっているのだが、立像と向かい合った反対側に立って彼らをみてみると、脇侍たちは思いきりオレに尻を向けている状態となる。日本の仏像配置の場合、概ね全員が訪問者を相対する、つまりオレ対仏チームという配置となるわけだが、ここでは、脇侍たちも「自分たちも修行の身ですから」的な雰囲気を醸し出している。これには大乗と小乗の違いなのだなぁ、と勝手に解釈してみたが、実際のところはどうなのだろう。d0081682_16225097.jpgd0081682_16232158.jpg
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 07:00 |  ├ タイ旅第二夜
午後はいよいよ寺院に密着取材
 いよいよ、本日のメインディッシュ。寺院と仏像めぐりである。まずは、いきなりのっけからメインイベント的な大寺院、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに行く。アユタヤ観光の押さえどころであり訪れる者も多く、そのワクワクした空気が伝わってくるのか、ただでさえ密かに盛り上がっていたオレのテンションも急上昇。寺院の周囲は目線より高めの塀で囲まれており、中に入るまで様子が判らないというのがまた気分をあおるのであった。

d0081682_16113074.jpg 駐車場を抜け、門をくぐると、まずは修行僧たちの宿泊部屋が現れ、さらに壁に沿って進むと、右手に巨大な建造物が現れた。本塔の前には5メートル程(?)の仏が。オレの気持ちは一気に高揚する。うぉお! これだっ! やったね! そんな達成感である。これぞ、オレが観たかったタイの寺院だった。
d0081682_16115764.jpg 単純に巨大なモノに対する驚き畏敬の気持ち、そして仏に出会えた歓喜の気持ちに大満足なおであった。しかし、モノには順序というものがある。右手のご馳走をチラ観しつつその前に左手奥に進む。
 と、そこには、別のご馳走が。

d0081682_16131033.jpg 崩れかけたレンガ塀をまわりこむ。
 いました。そこに。彼が。仏陀が。全身真っ白の寝釈迦仏が待っていたのだった。10メートルくらいはあろうか。白い。そしてでかい。まとった黄色い衣が白い肌によく映える。寝釈迦、いいじゃん。素晴らしい。これまた気分はアゲアゲのテンションであった。
 勝手な想像込みでの話だが、ここタイでは、仏像は単なる遺跡ではなくしっかりとした信仰の対象である。だから観光気分で寺に訪れるのではなく、お祈りをしにくる。それは、日本人が寺に行ったときに手を合わせるような(あえてこういう表現をするが)カジュアルな信仰よりも、もう少し真摯であるように思う。

 そんなわけで、この寝釈迦像にも一心にお祈りをしている人がいるのも当然で、かつ自然なことであるように感じるのだった。逆に日本の寺で一心に祈っている人に合うと軽く引いてしまうというのも実感としてはあって、その差はなんだろうと思う。

d0081682_16124197.jpg 寝釈迦で面白いなぁと思ったのは、手の届く範囲、つまり右半身の右腕辺りが黄金色に変化しつつあること。つまりお祈りの一環として金箔を貼られていっているのだ。巨大な像で全身に行き渡っていないだけなのか、あるいは白さをキープしたい気持ちが働いて好き勝手に貼られていないのかは、わからないが、それもまたそういうものと思うだけであり、ともあれすごいなぁと感嘆する気持ちだけは確かな感想としてあった。

d0081682_1614256.jpg お堂に進む。荒々しい壁画に取り囲まれた堂の中には、高僧の蝋人形があったりする。蝋人形ならではのリアルさが不気味ではある。オレは仏像に興味があるが、僧像には興味が持てないという歪んだ愛情の持ち主なので、蝋人形を観ても、ふーん、という感じであまり心は惹かれない。

d0081682_16142476.jpg 堂内には取っ手のついた重石があって、これを持ち上げられるかどうかで吉凶を占うので有名なのだそうだ。女性は薬指で、男性は小指で持ち上げてみて、軽く持ち上がれば願いがかなうのだと云う。
 ガイド曰く「恋の占いなどで、みなさんやってますよ」とあおったせいか、女性陣は全員列に並んだ。オレは占いは嫌いでないが、並ぶほどでもないしひとりで並んでもバカみたいだし、それよりは仏だよな。と、さきに本堂に進むことにした。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 06:00 |  ├ タイ旅第二夜