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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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銀行内をうろついても金は落ちていない
銀行内をうろついても金は落ちていない_d0081682_15101783.jpg 自転車は快調に進む。といってもその距離はほんの数分。いや1分程度。青森銀行記念館が次の観光ポイントである。明治期の旧国立第五十九銀行本店。しかしここに限らず昔の銀行は洋館であることが多い。もっともだからこそこうして残っているともいえるのだが、ともあれ、現在は完全なる観光施設保存施設となっている。
銀行内をうろついても金は落ちていない_d0081682_15105844.jpg 銀行内は、いわゆる近代黎明期、金融黎明期の記録や金銭貨幣の変遷などが展示されている。それなりに興味深いものがあったが、オレのそのときの興味の方向は建物自体に向いており、実際、一番の見どころはやはり建物自体なのである。それを知ってか知らずか、展示物を並べまくって建物の造形見物を妨げないようにしている。特に上階に上がってしまうと、本当になにもないガランとした部屋ばかりで、往時の建物の雰囲気を堪能することができるのであった。その割りきり加減がオレとしては心地よかった。
銀行内をうろついても金は落ちていない_d0081682_15103726.jpg オレが一番ぐっときたのは、1階から2階へ上がるための階段である。曲がり階段になっていて、なんでもこれは認められた人しか造ってはいけない構造なのだそうだ。単なる階段ではあるが、そういった決まりごとがあることに対して、そういうもんなんだなぁ。という新たな知識を得た快感と、純粋な構造美としての階段の美しさへの快感という、そんな面白みがあった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 06:00 |  ├ 弘前編
追手門広場で観光の準備
 そろそろ9時になろうとしていた。あるいはまだ9時前なのか。という見かたもあるが、とりあえず9時というのは実は待ちかねたタイミングなのである。何故か? 観光案内所が開いてレンタル自転車が借りられる時間だからだ。弘前は狭いようで広い。効率的に観光するにはもちろん自転車が最適なのである。
 というわけで、追手門広場にある案内所の開所と同時に自転車を確保する。そしてそのまま車上の人に。ではなく、案内所近辺の観光施設をまわるのであった。城の隣にある追手門広場には、洋館や展示館などが集められており、けっこう面白そうでなのある。まずは足を確保してからじっくりと観る計算高いオレであった。


追手門広場で観光の準備_d0081682_1515416.jpg まずは、旧弘前市立図書館である。ルネサンス様式をベースにした和洋折衷の木造の洋館だ。明治時代からある建物で、図書館というよりは、こじんまりとした屋敷のようだ。なんでも下宿屋であったときもあったらしく、オレの印象もあながち間違いではないようだ。図書館らしくないという印象は、それなりに大きな洋館ではあっても、現代の図書館に対するイメージから比すればやはり手狭だなぁ、というところから感じるのだろう。
 しかし、よく考えれば、だ。推測半分ではあるが、往時の図書館は、図書自体、今のような膨大な冊数があったわけでもなく、大きな施設である必要がなかったのだろう。「図書館」ではなく、図書の「館(やかた)」ということだ。

追手門広場で観光の準備_d0081682_1521553.jpg また、知識人(と云いきってしまってよいものかどうかは判らないが)が自らの知的好奇心を満たすため、あるいは、何らかの調査のため、篤志家が集めた書籍や資料を閲覧する場所というものだったのだろう。こう簡単にまとめてしまうと、今の図書館となんら違いはないような感じもするのだけれど。なんだろう、この図書館に入ったときに感じた、今の図書館の持っている機能や在りようとは何か違う時代感を受けたのだった。もしかしたら単純に書籍在庫の違いなのかもしれないが。とにかく、書物と読者との関係性が現代とは違うのではないか。あくまでも直感としてそう感じたので、それをうまく表現できないのが悔しい。
 あと、単純に面白いなと思ったのは婦人閲覧室という別室があったことだろうか。やはり男女七歳にして席を。。。ってヤツのせいだろうか。


追手門広場で観光の準備_d0081682_1523039.jpg 続いては旧図書館の向かいにある山車展示館に進む。ここは300年程前に、弘前八幡宮祭礼で使われた山車を集め展示してある。ひとつひとつがそれなりに大きく館全体で5,6台くらいだろうか。山車それ自体ではなく山車飾りのモチーフの展示で、もし台ごとだったらおそらくもっと場所をとっただろうな、と思う。単に展示されているだけではなく展示のモチーフとなった原典、例えば中国の古典や日本の伝説逸話などだが、これらが説明されていており面白かった。オレが特に気に入ったのは、ひとつは猩猩寺。「くめどもつきぬ酒のつぼ」という一言が実になんというか、羨ましい限りである。もうひとつはふたまた大根。これすなわち歓喜天となっており、つまりはむつみの姿というかもだえ姿というか。要するにオレが反応しやすいネタは酒と女ってことなのか。

追手門広場で観光の準備_d0081682_1525373.jpg これは方言の話なのだが、入口付近に「じょっぱり」という言葉が書かれその説明書きがあった。じょっぱりとはつまり頑固を指す事はということなのだそうだ。ちなみにその最上級形が「ごうじょっぱり」なのだそうだ。正直、オレはじょっぱりという言葉は知らなかったのである。しかしごうじょっぱりという言葉は普通に知っていたし、実のところそちのほうが一般的な言葉だと思っていた。なんか認知度が逆なんじゃないのかなぁ、と少々おかしくなったのであった。


追手門広場で観光の準備_d0081682_1531067.jpg さらに向かいにある、つまり図書館に並ぶ場所にあるのが、旧東奥義塾外人教師館。外国 語教師の住まいになっていた西洋館である。展示室は無料だが、館内の喫茶室は有料という設定となっており、施設的の取り扱いとしては逆じゃないの的な感じがしないでもない。
 1階は喫茶室で、別に入る気もなかったが時間が早すぎて開店前。悩むまでもなく、2階を観てまわる。ここが前述の教師家族の住まいだった部分である。屋内に普通にブランコが設けられているのが、幼い家族のいる風景を思い描かせる微笑ましさを感じるとともに、よくも室内に普通にブランコを作ったのだなぁ? 異文化だなぁ。みたいな感じも受けた。もっとも冬は雪深い津軽である。屋内遊びのための必然なのかもしれない。


追手門広場で観光の準備_d0081682_1533198.jpg さて、この教師館のまわりはちょっとした芝生の公園となっているのだが、もちろんそれだけでは終わらず、ここにもさりげなく、かつ濃い展示がある。弘前市に数多くある西洋館を何分の一かのサイズで再現(いや、現物がある中で作られているから複製という言葉が相応しいのか)している、不思議なジオラマ空間がそれだ。それぞれ館によってばらつきはあるが、概ねどの館の屋根もオレの腰のあたり。軽く見下ろす感じの高さである。そんなミニチュア洋館の街並みの中をぬって歩くと、自分が巨人なったかのような感覚にとらわれる。逆に館の中に人がいたとしたらちょうど見上げたあたりでオレと目が合うんだろうなぁ。そりゃ怖かろう、とそんなことを思う。
 洋館がかなりリアルなつくりだったので、オレもつい「これは8分の1計画が発動されたのか!?」と妄想したりした(実際には10分の1だそうだ)。しかしそんなマニアックなネタを思いつく思うとは我ながら恥ずかしい。ドンピシャ世代じゃないのだけれどね。言い訳か。

 その後、案内所内の土産物屋を軽く物色して早くもいろいろ買い込んだりしながら、さて今度こそ、いよいよ、弘前周遊観光に出発である。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 05:00 |  ├ 弘前編
早朝の寺は居心地がよい
 教会から弘前中央駅の前を通って先を行く。駅は、中学生の登校時間だったせいか、自転車でバンバン駅前に乗り付けてくるのだが、あれ、今日は土曜日のはずだが。こちらはまだ土曜も登校日なのだろうか。

早朝の寺は居心地がよい_d0081682_11482324.jpg さて、寺である。金剛山光明寺最勝院、五重塔がきれいな寺であった。朱色の塔が青い空に実に綺麗に映える。空気が澄んでいる朝の青空だからなおさらであろう。やはり境内には人もまだ少なく、といいつつも散歩なのだろうか、何人かの人々は日なたでのんびりとしていたりする。
早朝の寺は居心地がよい_d0081682_1147813.jpg 門から入った参道の両脇には石仏の三十三観音が並んでいる。全員をじっくり味わうほどの根気はないので、さっと観ながら気になる存在のお方にはちょっと時間をかけるという堪能方法で勝負する。面白いのはどの観音様も細面の美しいお顔なのだが、鼻がつけっぱな族。すっとして美しいといえばそのとおりなのだけれど、パッと見、「お、ウッチャンか?」を思わずにはいられなかった。

早朝の寺は居心地がよい_d0081682_11474777.jpg 本堂前に水屋が新しく造られていた。白木が美しい。意識としてはお寺に真新しさはなんとなく違和感もあったりするのだが、それは勝手な思い込みだとも思う。ともあれ、水屋だ。寺としてはこのできたばかりのこれがイチ推しらしく(?)、特徴の説明パネルが置かれている。例えば、屋根の四方を支える邪鬼が喜怒哀楽を現しているのだ。とか、龍神の鱗には一枚いちまいに曼荼羅が掘られている。とか、水屋の天井にはに逆文字で梵字が彫りこまれていて水甕の水面のさざなみが収まると梵字が正字として浮かび上がるのだ。とか、他にも様々に細いギミックが仕掛けられているのだ。信心からの細工だとは判ってはいるが、しかし遊び心がないとはいわせない。少なくともオレは面白味のほうを強く感じだ。そしてそれでいいのだと思う。信心と遊び心は相反するものではけしてない。

 さて、五重塔の中に住んでいる仏は、一応気楽にあったりすることのできない秘仏である。深窓の令嬢なのである(場所的には霊場だが、ダジャレじゃんか)。しかしその姿の絵葉書は売っていたのでもちろん購入した。ついでに見たところなさそうだが、ダメ元で手ぬぐいはありますかとたずねてみると、以前に寺を改修したときに記念に作成したものがあるということでそれを譲ってもらえた。なんでも聞いてみるのは重要なのだ。
 おつりを間違えて多めに渡されたが、仏の前でウソいつわりはよくないと、きちんと200円を返した。己の心の器を試されたのだろうか。だとすれば危ないところであった。とりあえず一瞬逡巡してしまったことを告白しておきたい。やはりこれはダメなオレを反省すべきなのだろうか。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 04:00 |  ├ 弘前編
誰もいない教会
誰もいない教会_d0081682_11404059.jpg 20分くらい歩いたところに、日本聖公会弘前昇天教会というイギリス教会の伝統を引くプロテスタント形の教会がある。赤レンガで造られたゴシックな教会だ。やはりレンガ造りはいい。風情がある。弘前には明治時代の洋館が多いが、この教会も明治29年築であるそうな。繁華街と住宅地の境あたりの普通の、というと、なにが普通なのかよくわからないが、ようするに歴史的な建造物でございというような気負った場所ではなく、生活圏の中に普通に息づいているような教会であった。
 宗教的にはさほど興味はないが、建造物好きとしてはここは当然立ち寄らねばならないだろう。扉に鍵はかかっておらず、とりあえず観覧はできるようだ。しかしひと気がまったくない。時間はおおよそ8時頃である。やはり早朝だからなぁ。と思って入口の案内板をみると「早朝ミサ 6時半から。」と書いてある。オレが早いんじゃない、むしろ遅かったのか。
誰もいない教会_d0081682_11405798.jpg 扉を開けて中に入るも、やはり誰もおらず、たったひとりで物見遊山する。内装は木造の教会で、これまた落ちついた雰囲気がある。本堂前室にレトロなストーブがあるところが東北っぽくてよいなと思う。
 これまで、何度か教会に訪れたこともあるが、多かれ少なかれ教会内のにおいがオレにはちょっと好きではないな、と感じていたのだ。肉系のにおいというかなんというか、くどい重みを持ったにおいなのである。しかしこの教会は、いい意味で枯れた香りで、あまり違和感がなかったのが不思議であった。やはり伝来地から離れている分、日本風に変化していっているのか。もっとも青森にはキリストの墓があるくらいだから、バリバリファンダメンタルであっても不思議じゃないはずだけどな。
 教会を後にして振り返ると、脇からみえる鐘の塔が非常に薄く、ちょっと押すだけでパタンと倒れてしまいそうな様子だったのが、なぜかおかしかった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 03:00 |  ├ 弘前編
弘前の朝は麺類からはじまる
 さて。そんな吹雪の夜から、明けて早朝。実際には天候にも恵まれたのかバスは快調に
進んだらしく、7時前に弘前に到着した。窓から見える外は快晴。青空が広がっている。
まさに旅日和である。

 バスターミナルに降り立って、まずわかったことは、弘前は肌寒い! まだ9月なのに。さすが北国ということか。ザックからソフトシェルを取り出し早速着込むと、ターミナルから5分ほど離れた弘前駅に移動する。明日の目的地である青森市への移動時間と料金の確認。朝飯とトイレタイムのためだ。実は翌日、電車を使っての移動はしなかったので、弘前駅へはこの朝だけの来駅となったのだが、それはまあどうでもいい話だ。
 まずはトイレで顔を洗ってバス汗を落とすと、そのあたりで唯一開店していた駅前(正しくは駅舎内だが)蕎麦屋での朝飯である。この蕎麦屋、まあ普通の立ち食い系蕎麦屋なのではあるが、入口の呼び込みポスターに「幻の青森そば 復活」という誘い文句が。そして「じゅん菜あります」との文字が。うーん、それは明らかに食べてくださいと云っている。あまり過大な期待は別に持ってもいないが、そう書かれてしまえば食さずにはおるまい。
 というわけで、幻の蕎麦にじゅん菜トッピングというお勧めどおりの注文で勝負する。

弘前の朝は麺類からはじまる_d0081682_11353443.jpg 出てきた蕎麦は、だが。うーん、どうなんでしょう。幻の蕎麦は、ぶつぶつと細かく切れていて通常の蕎麦の3分の1くらいの長さしかない。そしてコシもあまり感じられない。細切れなのは、多分、そういう仕様なのだろうと思う。そして麺にコシがないのはその程度の立ち食い蕎麦だからだろう。まあ、じゅん菜はとゅるとゅるでとても美味しかったが、トータルで考えるとけして不味いと云いきる程でもないそこそこの味ではある。しかしオレは、蕎麦とは歯応えとのどごし(そして風味か)上等、の嗜好なので、ね。まあ、そういう感想ですよ、と。

 その日の宿は駅そばのホテルである。歩いて数分で到着する。できることならチェックインしてシャワーのひとつでも浴びたいところなのだが、なにしろまだ午前7時半だからなぁ。さすがに無理。とりあえず、荷物を預かってもらい、さっそく観光三昧の一日を開始するのだった。
 青空が広がり、気温も涼しげで、まさに散歩日和。楽しみだなぁ。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 02:00 |  ├ 弘前編