【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
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![]() 寺院自体はそこそこに広い寺ではあるが、クメール様式の円柱(トウモロコシ?)型の仏塔、スリランカ様式形式の円錐型の仏塔が乱立している。おそらくは遺跡としての塔は先のプラ・シー・サンペットよりはみしっと詰まっているような気がする。 ![]() まあ、せめてもの心遣いということでもないが、単に写真を撮ってハイおしまい。ではなく、寺院を一周したのちに、あらためてお会いする。2度目はもちろんきっちりとお礼まいり。と書くと違う意味になってしまうが、ここまで来て会うことができたことに対する感謝としてのお礼である。 じっくり観直す気にさせるだけの力が仏頭にはあった。この仏、実に穏やかでいい顔をしているのだ。そして木の根に取り込まれているというよりも、色合いや肌つやが樹とほとんど同化しており、樹が仏であるようにもみえる。自然の造形のようにもみえる。ヘンに安直にスピリチュアルな感想を書くつもりはないが、なんかほっとするのである。確かにアユタヤめぐりのラストに相応しいなあ、と思うのであった。 ![]() そこで「遺跡を見て悲しかったか」と聞かれ、うーんと思ってしまった。こちらが答える間もなく「悲しくないですよね」と云われてしまい、そこでこの話題は終わってしまったのだが、確かに、遺跡をみて悲しいという感覚はオレにはないなぁ、と思ったのだった。それは別に、遺跡が他人の国の話だからとか、破壊されたモノに心が薄情者だからとか(いや、薄情なのは事実だけど)そういうことではないような気がする。 遺跡という過去の滅びの歴史を目の当たりにみて、滅んでしまったこと、蹂躙されていったことに対する悲しみというものは、確かにあるとも思うが、しかしそれ以上にオレの中では、結局、すべては諸行無常であって、そういうものだものな。という感覚があるのだ。 ![]() それはここだけではなく、プラ・シー・サンペットでもそう感じた。もっともそう思うのは、往時のバリバリ現役のときをオレは知らないからこそ云えることなのかもしれない。しかし少なくとも今、この場でこの姿しか観ることができないオレとしては、今感じたことがすべてだし、そういうことなのだろうと思う。
by gdcl-nshb
| 2007-02-03 11:00
| ├ タイ旅第二夜
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