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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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有機の王と無機の王
有機の王と無機の王_d0081682_1051326.jpg 続いて、もうひとつの遺跡寺院、ワット・プラ・マハタートへ移動する。ここには「首の根」とガイドさんが云っていたが、つまりは地面に埋まっていた仏像の頭が大樹の根に絡まって地上に出てきていることで有名な寺院である。
 寺院自体はそこそこに広い寺ではあるが、クメール様式の円柱(トウモロコシ?)型の仏塔、スリランカ様式形式の円錐型の仏塔が乱立している。おそらくは遺跡としての塔は先のプラ・シー・サンペットよりはみしっと詰まっているような気がする。

有機の王と無機の王_d0081682_10513053.jpg 入ってすぐ右手に例の仏はいた。ガイドさん曰く「地元の人は写真なんかは撮りません。でも観光客は撮ってもいいでしょう」とのこと。まあ、記念写真よろしくバシャバシャ撮りまくるのは確かに失礼だものなぁ。と思いはするが、そこはそれ、欲望に正直に生きるオレ。シャッターをきりまくるのであった。
 まあ、せめてもの心遣いということでもないが、単に写真を撮ってハイおしまい。ではなく、寺院を一周したのちに、あらためてお会いする。2度目はもちろんきっちりとお礼まいり。と書くと違う意味になってしまうが、ここまで来て会うことができたことに対する感謝としてのお礼である。
 じっくり観直す気にさせるだけの力が仏頭にはあった。この仏、実に穏やかでいい顔をしているのだ。そして木の根に取り込まれているというよりも、色合いや肌つやが樹とほとんど同化しており、樹が仏であるようにもみえる。自然の造形のようにもみえる。ヘンに安直にスピリチュアルな感想を書くつもりはないが、なんかほっとするのである。確かにアユタヤめぐりのラストに相応しいなあ、と思うのであった。

有機の王と無機の王_d0081682_10515785.jpg 若干時間が余ったのか調整的に30分ほど休憩になった。寺院の一角に座りガイドさんと無駄話する。
 そこで「遺跡を見て悲しかったか」と聞かれ、うーんと思ってしまった。こちらが答える間もなく「悲しくないですよね」と云われてしまい、そこでこの話題は終わってしまったのだが、確かに、遺跡をみて悲しいという感覚はオレにはないなぁ、と思ったのだった。それは別に、遺跡が他人の国の話だからとか、破壊されたモノに心が薄情者だからとか(いや、薄情なのは事実だけど)そういうことではないような気がする。
 遺跡という過去の滅びの歴史を目の当たりにみて、滅んでしまったこと、蹂躙されていったことに対する悲しみというものは、確かにあるとも思うが、しかしそれ以上にオレの中では、結局、すべては諸行無常であって、そういうものだものな。という感覚があるのだ。
有機の王と無機の王_d0081682_10522535.jpg また、違う観点として、この遺跡自体は確かに滅んでいるのかもしれないが、遺跡の持つ力というか、建造物として存在する圧倒的な迫力を訴えかけてくる力はまだ強く、だからここは死んではいない。と思ったせいもあると思う。
 それはここだけではなく、プラ・シー・サンペットでもそう感じた。もっともそう思うのは、往時のバリバリ現役のときをオレは知らないからこそ云えることなのかもしれない。しかし少なくとも今、この場でこの姿しか観ることができないオレとしては、今感じたことがすべてだし、そういうことなのだろうと思う。

by gdcl-nshb | 2007-02-03 11:00 |  ├ タイ旅第二夜
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