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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
街並み保存地区といいつつ
 ねぷた村の近所一帯は昔ながらの街の姿が保存されているのだという。その名もまんま「街並み保存地区」。というわけで、とりあえず一周とばかり、ぐるり駆け足で(自転車だから)まわる。
 正直なところ、弘前という明治期の洋館を抱える町から想像される、例えば金沢のような典型的な昔の街並みではない。一応、侍町の風情を残す街並みということになっているが、観光地区的に残されたというほど、厳格な保存がされたいたわけではないようで、オレの目線からは、ごく普通の生垣や瓦屋根の家といった昭和の空気感漂う田舎の住宅街であった。もっとも、そんな街並みは、実はすでに今現在の日本にはない、原風景的街並みであり、近代としての歴史としての街であるといっても間違いではないのだ。ただ、オレ自身記憶の中にリアルに残っている風景であり、自らが観たことのない日本の古い街並みという異国の風景ではない。古都の街並みとはつまり時間によって隔てられた異国であり、(時間的にも空間的にも)自分にあまりに近しい街は、観光の対象にはならないのではないだろうか。
 ただ少なくとも、ほっとするひっとする空間であることは確かだ。それはそれで必要なのだとも思う。
街並み保存地区といいつつ_d0081682_15453016.jpg そんな街並みの中に、これは本物の(?)旧家がいくつか残っており、観覧自由の家として管理されている。3つほどあるらしいのだが、オレが観たのはそのうちのふたつ、旧伊東家、旧梅田家である。そこは、黒光りする大黒柱を持つ、いかにも昔の「家」であった。オレの祖父母の家がこんな感じだったので、それなりに郷愁はある。もっとも日本人なら誰でも、経験や体験がなくても、懐かしく感じるかもしれない。それはメディアによって刷り込まれた記憶なのかもしれないし、ユング曰くの共記憶の為せる技なのかもしれない。
 と、振り返れば色々と妄想を膨らますこともできるわけだが、そんなことはそのときは考えもせず、「古い家っていいなぁ」と単純にお宅訪問気分を堪能していただけであった。それは「入るときには一声かけて」と玄関に書いてあり、実際に、屋内では管理人のおばちゃんが炬燵に入って待っているという、ヒト様の家にお邪魔した感覚が溢れていたせいであろう。
 そんな状況下、物見遊山の観光客としては、若干、いやかなりいたたまれなくなり、早々においとますることとなってしまったのだが。

街並み保存地区といいつつ_d0081682_1546121.jpg もうひとつ、これまた昔から商売している店があり、ここが観光ポイントとなっているそうだ。実は街並み保存地区に入って一番はじめに目についてのだが、その店は酒屋。なので「お。いい感じの酒屋あるじゃん」とだけ思ったのだった。結局、観光よりも酒か、オレは。
 いや、店構えがグッときたからこそ、店に注目したわけで、その意味においては、観光目線だよ、とひとりで云い訳をしたりもする。別にどっちでもいいのだけれど。
 で、あらためて店内へ。店の奥には有料の資料館が設けられていたのだが、(例によって)あまり興味がわかなかったので、本当に酒の物色だけ行う。いくつかこれはどうかな、と思う酒もあったのだが、そのときは何分にも自転車でめぐっているところであり、籠にあまり重い荷物を入れて、漕ぐのがつらくなるのも嫌だなぁ、という軟弱な意識が働いたのと、冷蔵保存していない酒を買うというのがちょっとリスキーだったので、結局何も買わずに終わった。

by gdcl-nshb | 2006-09-21 13:00 |  ├ 弘前編
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