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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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遺跡の夜景
d0081682_1113378.jpg アユタヤ観光の最後を飾るのは、遺跡寺院のライトアップである。場所は先ほど観てまわった、ワット・プラ・マハタートとワット・プラ・シー・サンペットの2か所だ。敷地の中には入れないので、外周からの見物ということになるのだが、まあライトアップされた寺院は間近で観てもどうというものではないので、それはいい。夜明かりでの仏っさん夜景にはちょっと興味はあったが。

d0081682_1115721.jpg 陽も完全に地平に落ちて、夕闇から宵闇に変わる時間帯である。オレンジ色の人工光に照らされ、遺跡が濃紺の夜空に浮かび上がっている。月並みな表現ではあるが実に幻想的な雰囲気であった。ただ、これは写真に納めるには厳しいぞとも思ったのだった。どう考えても暗すぎて脚なりで固定しないとブレブレにぶれまくって写真にはならないだろう。しかし、オレは三脚を持ってきてはいないのだ。そりあえず、立ち木に寄りかかって身体を固定してみたり地面に置いてみたり、いろいろと実験してはみたが、あまりきれいに取れてはいないだろう。塀に囲まれているプラ・シー・サンペットのほうはその塀に置くことで、そこそこの努力した甲斐はあったが、それでも好みの画を切り取ることはできなかった。まあ、自らの記憶に残していけばいいじゃないか。とも思うのだが、まがりなりにも写真班の端くれ、(コンパクトデジカメとはいえ)やはりこだわりたいよな、思うように撮りたいよなという気持ちはあり、やはり簡易三脚くらいは持ってくるべきだったかと少々後悔するのであった。d0081682_1121927.jpg
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 13:00 |  ├ タイ旅第二夜
タイスキ!
 夕食はホテルのレストランでタイスキヤキ。6時ちょっと前という時間が早いのか、レストラン内には我々のグループしかない。ちょっと寂しさが漂ってはいるが、しかし夕食なのである。そこそこに腹が減ってきているのである。

d0081682_1057168.jpg タイスキというとオレの脳内イメージとしては真ん中に筒のおっ立った鍋で、小網に具材を入れてしゃぶしゃぶして、食す。というものなのだが、この店では電熱鍋で一気に煮る。そして食べる。鍋を各自がつつく事はなく国生さおり似の給仕さんが取り分けてくれるという、日本人のタイ鍋認識とは別種のものであった(まあ日本でも高級な鍋は仲居さんのリードだったりするが、なかなか出会えるもんじゃない)。もしかすると、オレの想像しているのはタイシャブで、ここで食べるのはタイスキ。ちょっとの違いが大違い。そういうことなのかもしれない。いずれにせよ、これはこれでありだとは思う。国生さゆりだしね。

 鍋の具材は、魚介類に肉団子、野菜といった定番の品揃えで、まあカルチャーショックを感じる事はなかった。タイっぽさといえば、例の好き嫌いのはっきりする香菜、パクチーだろうか。オレはパクチー大好き派なので、まったく問題なし。むしろじゃんじゃん入れてくれと思うくらいなのだが、そういう訳にもいかない人もいるのは承知しているので、国生さんが大人しく入鍋するのをながめるのであった。面白いことに、このパクチー。鍋に入る前、皿からはものすごく強い香りが漂っていたのにもかかわらず、煮込まれるにつれて香りが収まっていったのである。想像するに、熱が加わることで香りの成分が分解されてしまうということなのだろう。オレとしては、ちょっと、いやかなり悲しい現実であった。

 そんなこんなで、鍋の具が少なくなったところでご飯が投入される。〆はやはり雑炊なのである。これが日本人観光客に合わせてなのか、タイでもポピュラーな食べ方なのか聞きそびれてしまったが、出来上がった雑炊は普通に美味しかった。ちょっと薄味だったけれどそれもまたよし。米が長米だったので、日本のものと比べるとあまりベタつかず、それもまたよしか。

それにしても偶然同行することになった旅の仲間、いや単なる同行者達はいまだ遠慮があるのだった。つまり鍋に料理が残っていても手が出しづらいってことだ。君達本当に満腹になったのか? 特に学生男子チーム、君達はそんな量で足りるとは思えんのだが、いいのか、それだけで。それに食べ物を残すことに抵抗感はないのか。というようなことを思うのだった。もちろん口には出さないが。そして、そんな心の声の裏には、オレまだ食い足りないんだけど、云い出し難いんだよねぇ、この場の雰囲気じゃあね。というさらなる心の叫びがあったことは云うまでもない。もしかしたら、皆同じことを思っていたりしてね。

 ともあれ、満足でもあり不満足でもあるディナータイム終了。食べ終わるとちょうど日暮れ時。道路の向こうに沈む太陽が赤く空を染めていた。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 12:00 |  ├ タイ旅第二夜
有機の王と無機の王
d0081682_1051326.jpg 続いて、もうひとつの遺跡寺院、ワット・プラ・マハタートへ移動する。ここには「首の根」とガイドさんが云っていたが、つまりは地面に埋まっていた仏像の頭が大樹の根に絡まって地上に出てきていることで有名な寺院である。
 寺院自体はそこそこに広い寺ではあるが、クメール様式の円柱(トウモロコシ?)型の仏塔、スリランカ様式形式の円錐型の仏塔が乱立している。おそらくは遺跡としての塔は先のプラ・シー・サンペットよりはみしっと詰まっているような気がする。

d0081682_10513053.jpg 入ってすぐ右手に例の仏はいた。ガイドさん曰く「地元の人は写真なんかは撮りません。でも観光客は撮ってもいいでしょう」とのこと。まあ、記念写真よろしくバシャバシャ撮りまくるのは確かに失礼だものなぁ。と思いはするが、そこはそれ、欲望に正直に生きるオレ。シャッターをきりまくるのであった。
 まあ、せめてもの心遣いということでもないが、単に写真を撮ってハイおしまい。ではなく、寺院を一周したのちに、あらためてお会いする。2度目はもちろんきっちりとお礼まいり。と書くと違う意味になってしまうが、ここまで来て会うことができたことに対する感謝としてのお礼である。
 じっくり観直す気にさせるだけの力が仏頭にはあった。この仏、実に穏やかでいい顔をしているのだ。そして木の根に取り込まれているというよりも、色合いや肌つやが樹とほとんど同化しており、樹が仏であるようにもみえる。自然の造形のようにもみえる。ヘンに安直にスピリチュアルな感想を書くつもりはないが、なんかほっとするのである。確かにアユタヤめぐりのラストに相応しいなあ、と思うのであった。

d0081682_10515785.jpg 若干時間が余ったのか調整的に30分ほど休憩になった。寺院の一角に座りガイドさんと無駄話する。
 そこで「遺跡を見て悲しかったか」と聞かれ、うーんと思ってしまった。こちらが答える間もなく「悲しくないですよね」と云われてしまい、そこでこの話題は終わってしまったのだが、確かに、遺跡をみて悲しいという感覚はオレにはないなぁ、と思ったのだった。それは別に、遺跡が他人の国の話だからとか、破壊されたモノに心が薄情者だからとか(いや、薄情なのは事実だけど)そういうことではないような気がする。
 遺跡という過去の滅びの歴史を目の当たりにみて、滅んでしまったこと、蹂躙されていったことに対する悲しみというものは、確かにあるとも思うが、しかしそれ以上にオレの中では、結局、すべては諸行無常であって、そういうものだものな。という感覚があるのだ。
d0081682_10522535.jpg また、違う観点として、この遺跡自体は確かに滅んでいるのかもしれないが、遺跡の持つ力というか、建造物として存在する圧倒的な迫力を訴えかけてくる力はまだ強く、だからここは死んではいない。と思ったせいもあると思う。
 それはここだけではなく、プラ・シー・サンペットでもそう感じた。もっともそう思うのは、往時のバリバリ現役のときをオレは知らないからこそ云えることなのかもしれない。しかし少なくとも今、この場でこの姿しか観ることができないオレとしては、今感じたことがすべてだし、そういうことなのだろうと思う。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 11:00 |  ├ タイ旅第二夜
三つの塔
d0081682_10423645.jpg さて、大仏寺院のとなりは、ワット・プラ・シー・サンペット、3人の王の守護寺院であり現在は墓石的遺跡寺院である。人の高さほどもない塀をくぐり抜けると、いきなりメインイベントが待っている。聳え立つ巨大な三つの塔の美しさに目を奪われたのであった。

d0081682_1043686.jpg 円錐形のその白い塔は高さは数十メートルはあろうか。見上げるばかりの高さである。青い空に塔の先端が突き刺さらんとばかりに伸びている。その塔の途中、おそらく仏像が祭られているであろう祠まで階段を登って行くことができる。もちろん登ってみた。
d0081682_10433783.jpg 塔の内部にまでは入る事はできないが、案の定、祈りを捧げることのできる小さな仏像が安置されていた。そして実際に様々な供物が置かれていて、一見観光遺跡のようなこの寺もまた、普通に生活の中の祈りの場として生きているのだ。

d0081682_1044927.jpg この寺院が、いままで(といっても2か所だが)の観光ポイントと違ったのは、遺跡をスケッチをしている人が異常に多かったことだった。単なるスケッチブックではなく、少々本気のキャンバス地に水彩絵具で遺跡の風景を書いている。軽くのぞいてみると誰もが一様に上手い。基本的に若者ばかりで、学生のようにもみえる。彼らは授業で描いているのか。とも思ったが、あるいは観光土産用にせっせと商品作成中という線も考えられ、しかしだったら他の有名どころの寺院にも居てしかるべき。と、どーでもいい謎に対して無駄に推理を働かせるオレであった。

 ここ、広大な敷地の中にはメインとなる三つの塔の奥には、レンガづくりの柱や壁の建物、の残骸が広がっていた。塔の上から観るとその広さにけっこう圧倒される。今では破壊され風化してはいるが、かつてあったのであろう巨大な建物の存在を感じさせるのであった。

d0081682_1045440.jpg ガイドさんから注意され、また入口わきの看板にも書いてあるのだが、遺跡寺院でやってはいけない3つの事柄がある。
 ひとつは、仏塔の指定された区域以上に登ってはいけないこと。
 もうひとつは、塀の上を歩いてはいけないこと。このふたつは、遺跡保護と来訪者の身の安全の観点から、普通に納得できるものだ。
 が、最後のひとつはちょっと違っていた。首が落ちた石像の後ろにまわりこんで自分の頭を出して写真を撮らないこと。云われてみて、ああ、なるほどそうだなぁと思ったものである。旅先の妙なテンションではしゃいで、ついそういったバカな記念写真を撮ってしまうことはありがちだし、そんな行為が不敬に写るのは確かにそのとおりだよな、と思う。遺跡の石仏は、さまざまな理由はあるのだろうが、首がもげ落ちているものが非常に多いのである。だからといってそんな仏っさんをネタにして遊んじゃあいけないだろう。

d0081682_10443998.jpg もっとも、その後、さらにガイドさんから「首がない像が多いし、誤って写りこんでしまうこともあるので気をつけてください」と云われ、これはマナーの問題ではないのかもしれないと思った。つまり意図的な写真だけではなく、偶然に写りこんでしまうことについても、タイの人たちは忌避感を感じるということであり、単純に遊び気分による仏陀への冒涜ということではなく、なんか畏れとか穢れとか、そんなことさらに避けなければならない感覚が身体に染みついているのだろうか。そう勝手に思わずにはいられない。あくまでも勝手な推測なので実際のところはどうなのだろう。
 いずれにせよ、オレもそれなりに敬虔な気持ちも持ち合わせてはいるので、せいぜい写りこまないように気をつけてまわるのであった。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 10:00 |  ├ タイ旅第二夜
大仏大好ブツ
d0081682_16362784.jpg 次はまた仏との出会いに戻る。今度のお相手は大仏である。寺はウィハーン・プラ・モンコン・ボピット、ここにはタイ最大といわれる高さ19mの仏像が鎮座しているという。
 我々は、大きく白いお堂の裏手にある駐車場でバスを下り、お堂を回りこむ。この寺院の伽藍はこの本堂だけで、あとは参道のようでもあり広い芝生の公園のようでもある、空間のみであった。なくなったのか元々なかったのかは判らないが、とりあえず景観的には広々として心地いい。
 が、オレの目指すのはやはり仏っさん。靴を脱ぎ、本堂の中へと(敬意を払いつつ)飛び込んでいった。いや、気持ち的にはそのとおりなのだが、実際は狭い入口にお祈りする人たちが押し合い圧し合いしていてなかなか入れなかったのだが、ともあれ、本堂内へ進む。
d0081682_16365128.jpg 薄暗いそこに、ビカビカに光る黄金色の大仏が鎮座していた。顔付きはもちろん面長のタイ風味、東南アジア風味。そしてとにかくデカイ。それだけで圧倒される。ひとまずは、出会えたことに対する感謝のお参りをしたのち、堂内をぐるぐる回りながらゆっくりじっくりと仏を眺めまわす。
 正面はお祈りをする人々で混雑していたが横や後ろには人もほとんどおらず、かなり堪能することができた。もっとも仏の後頭部をじっくり眺めてみてもどうというものでもないなぁ、とも思ったりしたがそれでも、じっくり観察していると、螺髪の形状などなど、日本の仏の姿との差がみえてきて、これがけっこう楽しい。いや、楽しいと云うと失礼なのかもしれないが、知的好奇心を満足させてくれるということだ。d0081682_16371852.jpg

 そんな仏楽園の寺ではあったが、不満がないわけでもない。それは土産が薄いこと。実際、この寺に限らず、今回の旅で巡ったアユタヤの寺はどこも、観光としての寺の要素を非常に多く持っているにもかかわらず、土産物屋は少ないのではないかと思う。そこそこにちゃんとした土産店があった寺は、この後にまわることになるワット・マハタートだけであった。もっともウィハーン・プラ・モンコン・ボピットも、隣のワット・プラ・シー・サンペットと込み込みで、露天屋台が軒を連ねていたので、そういう意味では土産物も充実しているともいえるが、オレとしてはこの寺に関連した、例えば絵葉書とか、手ぬぐいとか。。。 いやまあ、手ぬぐいはないとは思うけど、そういうベタな寺土産が欲しかったというわけ。これが一人旅だったら捜索範囲を広げてみたりもするのだろうが、今回はツアーだからあまり身勝手な行動は控えなければいけないし、発見できなかったのは致しかたのないことなのかもしれない。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 09:00 |  ├ タイ旅第二夜
ゾウはゾウでもゾウ違い
 次もゾウ。像ではなく象。
 タイとえいば、はいそのとおり。象である。国を象徴する動物なのである。ということで象に乗るのであった。

 我々の乗るバスは、象センターに近づいて行く。すると、おお、いるいる。大勢いるではないか。象が人を乗せて列を連ねて行進しているのであった。それも、よくある乗馬場のように囲まれた敷地内ではなく、普通に道路、といっても車道ではなく歩道だが、を歩いているのであった。普段、日本では動物園内でしか会えない象が、普通に道を歩いている。これにはちょっとしたカルチャーショックを覚えた。

 そんな象乗りの風景を横目で見つつ乗り場に向かう。十数分後にはあの背中に乗っているのはオレなのだな。そう思うと、クールなオレでもワクワクせざるを得ないのである。
d0081682_16284854.jpgd0081682_16292811.jpg バスは簡単に象乗り場に到着する。そこは単に乗り場があるだけれはなく、象の曲芸を見せている。象乗りを待っている客や、乗るつもりはないけれど象は見たい(ここまで来てそんな人がいるとは思わないが)客などがそんな象を眺めているのであった。我々一行はもちろん乗り象派、というかそういうツアーメニューなので、さっそく象乗り場へ進む。
d0081682_1630977.jpg 背の高い象に、多くの客を効率よく乗せるためにはいちいち象にかがんでもらってなどという悠長なことはやってはいられない。ちょっとした櫓が組まれていて、象の背中の輿に簡単にアクセスできるようになっている。で、オレは象待ちでワクワクしながら櫓の梯子に並ぶ人たちの一員になったわけだ。その時間帯、象はどうやら10数頭程度が勤務しているようだった。前の客が下りたら次の客が乗って近所を一周してくるというピストン輸送的な感じである。

 さて、いよいよ順番である。背中に設けられた輿の椅子に腰掛けるのだが、そこにたどり着くまでに1、2歩、象の背を踏んで行かなければならない。ちょっと気持ち的に気が引けてしまうのであった。やはり動物を踏むという行為って、いままでそうそう経験があるわけではない(ま、冗談で家の猫を踏んだりするが、あれはヤツの甘噛みと同じで本気じゃあないから)。
 まあ、大きな動物なので(といっても象の中では多分小ぶりなのだろうが)、踏んだらきゅう。とつぶれてしまうなんてことはまったくないのだけれど、それでも一歩踏み出すにはちょっと勇気がいった。

d0081682_16311996.jpg 乗り込むと象はさっそく歩き出す。実のところ、オレはいままで大型動物に乗ったことがない。その初体験が象というのも今から思えばすごいね、と思うのだが、それはそれとして動物というものが予想以上にに揺れる乗りものであるということを知ったのだった。その揺れも機械の乗り物とは違い、前後に揺れるのだ。それもかなり大きく。すごく新鮮な体験である。
 ちょっと油断すると振り落とされそうだった。象は非常にのんびりと歩いているのに。背上のオレは象の歩みにタイミングをあわせながら、乗り続けなければならない。うーん、これはけっこう気が抜けないではないか。優雅で壮大な散歩というわけにはいかないぞ。と。

d0081682_16305422.jpg と思いつつ、揺られているうちに乗るコツが判ってきた。どうやら背もたれに身体を預けてしまう座り方がいいらしいのだ。背中の面で輿を捉えることになるので身体が安定することと、そしておそらく象の揺れの軸位置とのバランスがちょうどいいのだろう。絵づら的には、ふんぞり返った感じになり、なんかすごくエラソーな姿になっているなとも思った。そこで思うのは、動物の輿に乗る人(特におえらいさん系の)が、エラソーに乗っているのは、単純にエバリが入っているせいではなく、それがもっとも安定した乗りかたなのかもしれないということだ。まあ実際のところはどうなのだろう。

 もっとも、そんな乗り方に気づいたのも行程も半分以上、道の折り返し地点を過ぎての帰路においてであり、もしかしたら像に乗ること自体に身体が馴染んだだけなのかもしれない。

 ともあれ、時間にして30分程度、距離にして数百メートルの象の旅は終了した。面白かったし、それ以上に奇妙で新鮮な体験であった。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 08:00 |  ├ タイ旅第二夜
本格的テーマパークといえばそのとおりで
d0081682_16205380.jpg さて、いよいよ本堂である。巨大な寺院が目の前にドン!と出現しているその事実。端から端までエキゾチックな光景が広がる。口からひとりでに「すげえや」という言葉がもれるのだった。
 東京の某ネズ○ーランドみたいだね。という声がそこここでささやかれ、聞こえてくる。かくゆうオレもちょっとだけ思った。しかし本当は順序が逆で、○ズミーランドが、ここのような遺跡寺院をモデルにしているのだ。
 なんにせよエキゾチックオリエンタリズムには心が浮き立ち、惹きつける引力があるのだと云わざるを得ない。

d0081682_16211561.jpg 本堂(というよりは塔か)は高さにして十数メートル、普通の建物にして3、4階程度(多分)の高さにある回廊まで登ることができる。階段は地面から一直線である。見るからにきつそうな行程ではあるが、しかし、ここまできて挫折するのもいかがか、というわけでもちろん登るわけだ。
d0081682_16214381.jpg 登ってみれはもちろんそれだけの成果はあって、周囲が一望できる絶景を得ることができるのであった。高い建物というものがほとんどない場所である。見渡す限りの田舎町、森、そして点在する塔。
 目線を下に下ろすとそそり立つ仏の頭がある。そしてさらに寺院をぐるり取り囲む仏像が小さく見える。
 異国の風景である。しかしけして見慣れないものでもない不思議な既視感。

 ところで、本堂内には井戸のような穴が開いているのであった。それがなんのためにあるのかはわからないが、その井戸を中心に祠のようになっており、薄暗い中、1メートル程の高さの仏が並んでいる。
 しかしここでの目玉は、天井にびっしりはりついている蝙蝠だったかもしれない。祠を覗き込む人、入り込む人の気配を感じて飛び回る蝙蝠に悲鳴をあげる人が続出であった。オレは別に蝙蝠に驚くほど不慣れではないし(家の近所を飛んでるし)、逆に可愛いじゃないかと思うくらいではあるのだけれど、しかし未知のウィルスを媒介する生物のひとつであることも知っているので、そんなにフレンドリーにお付き合いしたいとも思わない。とりあえず、こんにちわ、そしてさようなら。ということである。

d0081682_16233923.jpg 塔をおりて一周する。上から眺めたとおり、2メートル強はあろうかという大仏が列をなしてオレを出迎えている。塔上からはフィギュアのような感じだった彼らではあったが、実際に目の前にすれはその大きさはやはりすごい。圧倒される。
d0081682_16221057.jpg 一応に灰褐色の仏ばかりかと思っていたのだが、ちょうど反対にまわると5メートル程の白い立像がいた。彼のまわりを脇侍が取り巻いている。おそらくはちょうど説法の最中なのだろう。立像仏の目前には西洋風の庭園のような生垣になっているのだが、立像と向かい合った反対側に立って彼らをみてみると、脇侍たちは思いきりオレに尻を向けている状態となる。日本の仏像配置の場合、概ね全員が訪問者を相対する、つまりオレ対仏チームという配置となるわけだが、ここでは、脇侍たちも「自分たちも修行の身ですから」的な雰囲気を醸し出している。これには大乗と小乗の違いなのだなぁ、と勝手に解釈してみたが、実際のところはどうなのだろう。d0081682_16225097.jpgd0081682_16232158.jpg
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 07:00 |  ├ タイ旅第二夜
午後はいよいよ寺院に密着取材
 いよいよ、本日のメインディッシュ。寺院と仏像めぐりである。まずは、いきなりのっけからメインイベント的な大寺院、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに行く。アユタヤ観光の押さえどころであり訪れる者も多く、そのワクワクした空気が伝わってくるのか、ただでさえ密かに盛り上がっていたオレのテンションも急上昇。寺院の周囲は目線より高めの塀で囲まれており、中に入るまで様子が判らないというのがまた気分をあおるのであった。

d0081682_16113074.jpg 駐車場を抜け、門をくぐると、まずは修行僧たちの宿泊部屋が現れ、さらに壁に沿って進むと、右手に巨大な建造物が現れた。本塔の前には5メートル程(?)の仏が。オレの気持ちは一気に高揚する。うぉお! これだっ! やったね! そんな達成感である。これぞ、オレが観たかったタイの寺院だった。
d0081682_16115764.jpg 単純に巨大なモノに対する驚き畏敬の気持ち、そして仏に出会えた歓喜の気持ちに大満足なおであった。しかし、モノには順序というものがある。右手のご馳走をチラ観しつつその前に左手奥に進む。
 と、そこには、別のご馳走が。

d0081682_16131033.jpg 崩れかけたレンガ塀をまわりこむ。
 いました。そこに。彼が。仏陀が。全身真っ白の寝釈迦仏が待っていたのだった。10メートルくらいはあろうか。白い。そしてでかい。まとった黄色い衣が白い肌によく映える。寝釈迦、いいじゃん。素晴らしい。これまた気分はアゲアゲのテンションであった。
 勝手な想像込みでの話だが、ここタイでは、仏像は単なる遺跡ではなくしっかりとした信仰の対象である。だから観光気分で寺に訪れるのではなく、お祈りをしにくる。それは、日本人が寺に行ったときに手を合わせるような(あえてこういう表現をするが)カジュアルな信仰よりも、もう少し真摯であるように思う。

 そんなわけで、この寝釈迦像にも一心にお祈りをしている人がいるのも当然で、かつ自然なことであるように感じるのだった。逆に日本の寺で一心に祈っている人に合うと軽く引いてしまうというのも実感としてはあって、その差はなんだろうと思う。

d0081682_16124197.jpg 寝釈迦で面白いなぁと思ったのは、手の届く範囲、つまり右半身の右腕辺りが黄金色に変化しつつあること。つまりお祈りの一環として金箔を貼られていっているのだ。巨大な像で全身に行き渡っていないだけなのか、あるいは白さをキープしたい気持ちが働いて好き勝手に貼られていないのかは、わからないが、それもまたそういうものと思うだけであり、ともあれすごいなぁと感嘆する気持ちだけは確かな感想としてあった。

d0081682_1614256.jpg お堂に進む。荒々しい壁画に取り囲まれた堂の中には、高僧の蝋人形があったりする。蝋人形ならではのリアルさが不気味ではある。オレは仏像に興味があるが、僧像には興味が持てないという歪んだ愛情の持ち主なので、蝋人形を観ても、ふーん、という感じであまり心は惹かれない。

d0081682_16142476.jpg 堂内には取っ手のついた重石があって、これを持ち上げられるかどうかで吉凶を占うので有名なのだそうだ。女性は薬指で、男性は小指で持ち上げてみて、軽く持ち上がれば願いがかなうのだと云う。
 ガイド曰く「恋の占いなどで、みなさんやってますよ」とあおったせいか、女性陣は全員列に並んだ。オレは占いは嫌いでないが、並ぶほどでもないしひとりで並んでもバカみたいだし、それよりは仏だよな。と、さきに本堂に進むことにした。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 06:00 |  ├ タイ旅第二夜
アユタヤ昼食バイキング
d0081682_16112.jpg 早くも昼食の時間である。料理はアユタヤのホテルのタイ料理バイキング。アユタヤには団体旅行者を受け入れるほどの規模の店はそうないらしく、ゆえにホテルのレストランを使うことになるらしい。
 確かに朝のバイキングと違ってきちんと作られている料理の印象である。ただなんとなくなのだが、ホテル宿泊客といっしょくたなのでは? という感じがしないでもない。
 つまり結局のところ、アユタヤへのツアー客が皆、ここに集合しており、さらにホテル客もここに戻ってきて食べているため騒然とした店内となっているという状況なのだろう。というわけで、とにもかくにも店内は大賑わい。

d0081682_1612391.jpg と、朝に続いてまたもやバイキングであったことに対してとりあえずぼやいてみたが、ここの料理に関しては味は悪くはない。美味しかった。やや味が濃い目、油強め、というのがなんとなくアジアっぽい。そしてそんな味付けに合うのはビールであることは疑うべくもない。
 しかし、だ。同行のメンバーはまだまだお子様に毛の生えたような連中。ほとんど酒を飲まないらしく、注文したのはOL(?)2人組のみ。まわりがソフトドリンクを飲む中、ひとりでビールを注文するのは思いの外プレッシャーがかかるものだ。結果、一人だけ突出して飲むのもなんだかなぁというわけで、水にて食すこととなる。実になんとも勿体ない。ピリッと辛い炒め物なんか、たぶん、いや絶対ビールにあうと思うんだけどなぁ。

 ちょっとだけぼやき足しておくと、コーラと一緒に飯を食うのってどうなのよ? 確かにオレもたまにはそういうこともしないでもないけれど、この料理にそれはないと思うわけだ。まったく学生さんたちは子ども味覚。ま、いいんだけどね。
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 05:00 |  ├ タイ旅第二夜
虎退治ならぬ蛇退治
d0081682_15563693.jpg 続いては、山田長政が築いた(らしい)日本人町(あるいは村)跡に行く。
「跡」なので町が残っているわけではない。いや正直云って何もない。お墓と小さな記念館だけである。川岸にあって、当然ながら対岸が見えるのだが、そちらには木造の普通の住居がちらほら並んでいる。おそらく当時はあのような家がこちら側にも並んでいたのだろう、あるいは一体全てがまさに町になっていたのだろうと推測するのみである。

d0081682_1557515.jpg ここは観光地としてはどうなのだろう。そりゃ日本人にとっては山田長政はヒーローの一人である。その彼の町となれば当然行きもするだろう。だが、世界基準からみればローカルもローカル、たいしたスポットじゃあない。ということはつまり、ここは日本人のための観光スポットということである。
 てなわけで、記念館といっても日本人観光客用であり、土産屋も日本人の財布の紐を緩めるため用であるというわけだ。

d0081682_15573589.jpg ま、そんなことを考えながら記念館を見物する。まず目につくのは長政の像と御朱印船の模型である。
d0081682_15575826.jpg 長政はオレのイメージとは違っていて、普通なオッサンな感じ。オレの中では、髪型は角刈り、ごつい武人というイメージだったのだが、それは、なんとなく勝手に想像したイメージなのだ。別に武人というわけではないし、そもそも実在なのかも怪しいらしいし。まあどうでもいいですが。そもそも人物モノの像にはあまり興味がない。

 それよりもオレが気になったのは、お供えされている、そしてあからさまに宣伝されているらしい、マンゴスチン焼酎であった。売ってたら買うな、と思ったのだが、売り切れていたのかなんなのか土産コーナーにはあいにく置かれておらず、買わずにすんだ。あるいは買いそびれた。これにはかなり後悔している。d0081682_15582148.jpg
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by gdcl-nshb | 2007-02-03 04:00 |  ├ タイ旅第二夜