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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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王宮のエメラルド
 再度、船に乗り戻ってくると、今度は対岸すぐ近くにあるワット・プラケオに移動する。
d0081682_14333677.jpg ここはエメラルドの仏像のある寺院として、また、王の城、実際に執務を行なう屋敷としても有名である。現役の王家の城であるから、当然ながら軍隊が守っているのだ。邸内? 敷地内? を衛兵が警備している。見学途中、閲兵式なのだろうか衛兵の交替時刻の儀式なのか何だったのか結局判らずじまいではあったが、ロンドンはバッキンガム宮殿で観たようなマーチングバンドと衛兵の行進があり、なるほど王宮というものの一般的な設定を知るのであった。

 しかしオレの一番の関心ごとであるのは、やはり寺。ここで一番目立つのは黄金色の仏塔だが、しかし、ガイドさんは「まずはエメラルド仏をみてください」と案内される。やはり一番の目玉なのである。そして一番厳重に管理されているのである。寺院内のどこでもかしこでも写真は自由に撮ってもかまわないのだが、ここ本堂だけは撮影禁止。その分、ガン観で心に刻み込もうじゃないのよ、と気合いを入れるオレ。
 仏もそうだが、実は本堂もすごいのである。造りに気合いが入っている。全面がビッカビッカに輝いている。色とりどりの鏡、ガラスがタイル様にびっしりと貼り込まれていており、陽光を反射して輝いている。それはもうどんだけ輝けば気が済むんだよというぐらいに。眩しすぎる。あなたは眩しすぎるのよ。

 そんな荘厳なんだか絢爛豪華なんだか、あるいは単なるケバケバしいだけなのか判断がつきかねる堂内にしずしずと入る。果たしてそこにはエメラルド色が鎮座ましましていた。今は冬の時期なので袈裟も厚めのものをまとい、想像していた一段高い場所どころではない、かなり高所から我々を見下ろしている。正直、距離が遠くてあまりじっくりと対面するような気持ちにはならなかったのだけれど、仏像の素材ではめったないエメラルドの持つ質感と、まわりの人々の神妙な面持ちのせいか、なんとなく高貴なパワーは感じたのだった。

d0081682_14335284.jpg しばらく無言の対話を行なった後、ガイドさんから「自由見学!」のお許しが出た。さっそく仏塔に向かう。
塔はなんとなくモスクを思わせる雰囲気であった。またガウディ建築のようにもみえた。おそらくそれはカラフルな柄タイルによるせいであろう。ある意味無国籍的、汎宗教的である。しかしそれはオレの勝手な見立てでありこれこそがタイのスタイルなのであろう。
 さて、仏塔の回廊のある3階ほどの高さまで階段を登る。寺院入口に広がる公園側からみての前方に、黄金色の円型の仏塔。後方にも黄金の円型仏塔。中央の塔は四方の入口にガーディアンよろしくハヌマーンが扉をガードしている。また四隅には小さな、といっても1メートルほどの正座仏陀が鎮座している。とにかく塔。仏。そしてそれらは基本的に金ピカのピッカピカなのである。絢爛で豪華なのである。

d0081682_1434593.jpg 登って近くで観てはじめて気づいたが、前方の塔の金ピカは塗ったものではなく、数センチ角の正方形の黄金色のガラスタイルが整然と貼り込まれていたのであった。ものすごい手間をかけて作り上げられている。すごい。
 後方の円塔は塗りによるつくりなのだが、こちらはこちらで中程の高さを一周ぐるりとカラフルな護神が塔を支えている。まったくもって気合いが入った建物である。

d0081682_1434193.jpg 回廊からあたりを眺めまわす。境内をぐるりと取り囲む塀の門には5メートル程もあろうかという身長の4色の護神が門を守っている。かなりの迫力である。今気づいたのだが、彼らは全員内部を向いて立っている。外部からの侵入者の警護ではなく。堂内を見守っているのだろうか。しかし普通の感覚では相対する者に向かって配置するはずであり、それがちょっと不思議である。いったい何から警護しているのだろうか。
 とにかく堂内はガルーダをはじめ、いろいろな異形の神々がこの地を守っていることが判る。仏教国のタイではあるが、ヒンドゥ教などの汎神的要素を色濃く残しているのかなぁ、と思うのだった。

d0081682_14343363.jpg ちょっと視点の変わったものとしては、回廊の一角にアンコールワットの何十分の一かのモデルがあったことだろう。石造りなのかどうかは判らないが、素材とその朽ちた感じからすると、どうみても最近作られたものではない。とにかくつくりが精巧で、なんでここにあるの? という疑問は感じつつも、おおすごいではないか。とヘンに納得させられ、そして、行ってみたいなぁと旅先でさらに旅への欲求をかきたてられた。

d0081682_14344579.jpg 本堂の回廊を降りて境内を一周する。本堂を取り囲む渡り廊下的な回廊には、壁画が描かれている。その図は仏教モチーフではなく、詳しくは知らないが薄ぼんやりしたオレの記憶では確かヒンドゥー神話だったはずである。やはりここタイは、宗教的に幾度かの上書きと交雑があったということなのだろうか。まあしっかり調べれば判るのだろうが、オレとしてはそんな想像を楽しむ程度でとりあえず満足しているのでそれはそれでよし、だ。

d0081682_14345945.jpg 境内の出口付近にワット・アルンのようなタイル張りの高さ2、3メートルほどの小さな仏塔があった。このタイルの貼り方なのだが、中盤の飾り部分(?)に三角形に尖ったギザギザの切れ込みがあり、「これって歯にみえるなぁ」と思っていたら、どうやらその想像どおりらしく、全体を見れば龍が歯をむきだして巻きついていた。オレの解釈が正しいのかどうかは判らないが、塔全体と細部の連携は、全にして一つの仏教的解釈としても一致するのではないか。とまた勝手な解釈をして楽しんでしまった。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-04 04:00 |  ├ タイ旅第三夜
猫猫犬犬
d0081682_14235791.jpg かなりテンションの高い観光をしてしまったのだが、ヒト段落して落ち着いてまわりを見渡せば、ここにも犬や猫が多いのであった。特に猫はでろんと伸びきって惰眠をむさぼっている。猫好きとしてはそんな無防備な姿を見せられてしまえば、ついかまいたくなってしまうわけで、とりあえず相手が嫌がらない程度にいじって差し上げる。猫も慣れたもんでけっこうされるがままである。そんな感じで国と種を超えたコミュニケーションをとっていたわけだが、ここからはガイドさんの話である。

d0081682_14241076.jpg 猫はまあいいかもしれないけれど、犬には触ってはいけない。とにかくタイの犬は気性が荒く、頭や身体を触ると必ず噛みついてくるのだそうだ。ガイドさんも犬好きなのだけれど、この前、アユタヤでつい触ってしまって足を噛まれ1ヶ月も腫れが引かず、歩けない状態になってしまったという。傷痕も見せてもらったが、確かにひどかった。
 オレは別に犬に手を出すつもりは毛頭ないが、しかし猫であっても東南アジアには東南アジアの病原体があるだろうし(もちろん日本には日本特有の病原体がある)、不注意で感染するのはあまりにもバカバカしい。ここは気をつけるにしくはない。あまり安易にふれあいを求めるわけにはいかないのだなぁ、ということだ。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-04 03:00 |  ├ タイ旅第三夜
たどりついたあかつきには
d0081682_14145096.jpg 3分程の短い船旅を終えて、ワット・アルンに到着する。トタンづくりの塀を抜け、塔の下まで近づいてようやくワット・アルンをまじまじと観る。そこに至るまでは、太陽に気をとられたり、川岸にたどり着いても川に落ちないように注意しながらであったり、ここぞというときに屋根があって全景が観えなかったりと、いろいろとがっつり観られないように邪魔されていたのだが、その分、寄ってみて晴れてすべてが明らかになるというのは、それはそれで正解であった。強烈なまでのインパクトである。これはすごい。すごいとしか云いようがない。近くばよって目にも観よ。まったくその言葉どおりである。

d0081682_1415556.jpg 実に美しい塔であった。そして美しい以上に異形なのであった。基礎となる台は方形で、これ自体、建物にして3、4階くらいの高さがある。そこまでは人が登れるようになっており、ぐるりと中空の回廊になっている。中央には、スリランカ形式なのだろうか、円錐型の塔が高く聳えている。
d0081682_14152248.jpg 遠目から観ると白い塔であった。しかし近くで観ると塔すべてが色とりどりのタイルで埋め尽くされており、とてもカラフルであることが判明する。そのタイルに陽が反射して暁色に光っていたのだ。よくぞここまで作り上げたと思わざるを得ない。とにかくすごい。近しい建物のイメージとしては(あまりこういった比較するような見かたをするのは好きではないのだけれど)、ああ、ここにガウディがいる、と思った。その異形さにおいて、ガウディを想像せずにはいられなかった。

d0081682_14153567.jpg もっとも「すごすぎる」と思ったのは、中央の塔を囲むように下部方形の台の四隅から伸び上がっている塔であった。もちろんこれらもタイル張りである。しかしただのタイル文様だけではなかった。塔の基部となるところに、その塔の頭頂部を支えるように配置された仏像群である。仏像というよりもヒンドゥー色が強いのだろう、ハヌマーンであったり、ガルーダであったり、という異形の神々である。具象好きのオレはこれはかなりヤラレタ。興奮して、思ったよりも広い回廊をグルグルまわり、あらゆる角度から舐めまわすように観まくるのであった。

d0081682_14154845.jpg そうこうするうちに気持ちも少しは落ち着いてきたのだろう。いろいろと細部にも目が届くようになる。そうなると、またまたそれまでには見えていなかった萌シロが見つかるのだ。回廊の足元に飛天のような塑像が設えてあり、これが東南アジア特有のアルカイックスマイリーな表情の神秘的な姿ではなく、むしろふっくらとした少女の表情であったのが、某アイドルグループのメンバーの一人に似ていて、かなりツボをつかれてしまった。なんと業が深い男であろうか。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-04 02:00 |  ├ タイ旅第三夜
暁の寺は川面に
 タイへの旅、3日目。実質2日目。観光としては最終日。あっという間といえばあっという間である。
 さて、今日はバンコク市内観光ツアーである。朝、7時に集合し、バスに乗り込むと、さっそくひとつめの観光に出かける。当日の夜明けの時間は6時半すぎくらいだったろうか。バンコク観光は、日の出直後といってもよい程のかなり早い時間からのスタートではあるが、それにはそれなりのわけがある。

d0081682_1485524.jpg ひとつめの観光はワット・アルン。通称「暁の寺」。アルンとは夜明けという意味なので、そのまんまではある。三島由紀夫の小説「豊饒の海」の舞台でもあるが、もっとも読んだことはない。
 ワット・アルンに行くためにはチャオプラヤ川の対岸から船で渡るしかない(というわけでもないがそれが一番行きやすいらしい)ということで、まずは渡船である。行く行為自体がひとつのイベントとなる。いいではないか。仮に陸路で行くほうが早くともオレは船行を選ぶだろう。
 木造の味わいのある、要するにボロっちい船着場を抜けるとそこが桟橋である。細長い小船に乗り込み、いざ対岸へ。。まだ朝も早く、乗るのは我々の他は地元の人間だけである。なんてシチュエーションだとちょっとカッコいいのだけれど、そんなにできた話にはならず、それなりに観光ツアーのヒトも乗っている状態で、まあ人員的には20名程度といったところだろうか。まあ、もちろん、地元の人々や寺の僧も乗っているという点は、やはり寺への渡舟なんだなぁと思わせる。

d0081682_1491173.jpg 対岸から見えるワット・アルンは、その名のとおり、夜明けの(というほど早朝でもないけれども)空に高く聳え立っている。朝焼けの色に染まり、オレンジ色の塔である。
 船上で振り返ると、太陽は川もに光の帯を描き出していて、まだ朝の風景なのであった。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-04 01:00 |  ├ タイ旅第三夜
深夜の邂逅
 ホテルへ戻る途中、昨夜も行ったコンビにに立ち寄った。水やらビールやらを購入するためだが、それはまあいい。問題はホテルへの帰路であった。
 ホテルへの道すがら、電話ボックス脇に大きな塊の影があった。なにかと思えば象なのだった。
 街なかに象。
 しかもここは駅前で車通りも人通りも多い道ごく普通の路上なのに。確かに深夜なので、人が多いというわけでもないが、それにしても象なのである。

 象も馬や牛と同様に家畜であって、荷物運びなどを行うポピュラーな存在でり、驚くには値しない日常の風景であるということは薄々判ってはいたものの、例えば東京の渋谷に馬がいたら多少はビックリするだろうし、そういうレベルでの異質感はあるだろう。それが象ならなおさら驚くのは当然だ。バンコクでは象は普通に街なかを連れて歩けるようなものなのだろうか。なのだろうな、きっと。
 本によると出稼ぎ的にいるということなのだが、しかし、そんな情報すら知らぬままにであったオレとしては、かなり異国の感を感じ、おおっと思ったのであった。異国の旅はとことんまで楽しませてくれる。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-03 16:00 |  ├ タイ旅第二夜
やはり酒がナイトね
 さて。ひととおりまわって(本当は何周もまわって)土産も買ったので、物欲煩悩は無事に昇華された。ということで、あとは酒だ。
 ナイトバザールの隣、というか敷地の一角にアトラクションアリーナという広い区画がある。名前は催事場っぽいが、ようするにビアガーデンなのである。しかもかなり盛況で、ほとんどの席が埋まっている様子だ。正面には、かなりしっかりした舞台が組みあがっていて、入れ替り立ち代わりにバンドやボーカリストが登場しては歌を歌っている。
d0081682_11101292.jpg ビアガーデンの左サイドには、ビールの肴にはばっちり合いそうな鶏肉や豚肉などのタイ料理の店が軒を連ね、反対側の右サイドには、タイはもちろんのことドイツやイギリスなどのビールメーカーの店がある。もちろんバドガールよろしくボディコンシャスなミニワンピな衣装に身をかためたビールガールもいて、オレのオヤジ心を満たしてくれる。ありがたいことである。オレとしてはタイガービールの青地の衣装がお気に入りとなった。

d0081682_11103859.jpg このビアガーデンでの飲み物食い物の調達方法は、現金ではなく食券制であった。入口脇の券売所で食券を購入し、それぞれのブースで料理と交換するというシステムで、どことなく遊園地のそれに似ている。もっとも現金は一切受け付けないというわけではなく、ビールカウンターなどは普通にキャッシュデリバリーで買えてしまう。なんともおおらかな販売方法である。
 見た目いかがわしくその実けっこう健全な盛り場。これはかなりオレ好みのシチュエーションなのであった。というわけで、ソーセージとビールを大ジョッキ(というよりも1パイントというべきか)を買い、席についた。とりあえず一口。ンククゥ〜。やっぱビールは一口目が最高に美味い。満足である。ソーセージをタイソースに浸し口に放り込んでは、ビールをグビリといただく。実によい。ソーセージはあまり肉っぽくないがタイソースにはこれが合っていたし、デュンケルビールは思ったよりも軽めだったが、暑い国にはこれくらいが好ましい。

d0081682_1111783.jpg 夜10時。日中の夏か?と思うような気温から、実にいい感じに落ち着いている。舞台で繰り広げられているライブショーをぼーっと眺めながら、酔いに身を任せるオレであった。ああ、なんという幸せな夜であろうか。
 こうして、タイの2日目、実質1日目の夜は過ぎていった。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-03 15:00 |  ├ タイ旅第二夜
夜はこれから。お買い物
 軽く眠っているうちにバスは一路、バンコクへ連れ戻してくれる。到着時間は8時、まだまだ宵の口。夜はまだまだこれからである。というわけで、ナイトバザールに繰り出すことにした。ホテルから地下鉄に揺られ数十分。8時半には到着する。

d0081682_1153576.jpg 地上に出てみれば、そこ待っていたのは、思ったよりもすっきりとした、かつ猥雑な空気は十分に持っている市場であった。露天市場ではなく、まさに市場。広いエリアに一坪程度(もっとあるか?)の商店がびっしりと詰まっていて、土産物から衣料品、怪しげなグッズまで幅広く取り揃えている。
 もちろんレストランなどもあり、これがオープンテラスだったりして意外とオシャレ。ムードをある程度必要とする場面では大活躍すること請け合いだ。一人で入る気にはならないけれど。
 ビックリしたのは観覧車や射的などの遊園地遊具があったこと。感覚としてはみなとみらいのコスモワールドを小さくしたような感じだろか。そんな非日常的アイテムがお祭り気分を盛り上げている。

 すぐ近くにはムエタイのスタジアムがある。到着した時間が時間だったので観戦はパスしたのだが、後で調べたら、その日はぎりぎり夜の試合開始に間に合っていたのだった。こんなことなら、ダメ元でも行っておけばよかったと思うものの後の祭りである。しかたがない。
 その替わりに行こうとしていた人形劇シアターは、ガイドブックによると21時からの回があるということで期待して行ってみたのだが、こちらは逆に19時30分からの回しかないということが判明。結局、こちらも今日は観れずじまい。なんと間が悪いことであろうか。

d0081682_116826.jpg つまりは今晩は土産の物色と夜の街の探索に徹しなさいというのが今日の神様の指示であるのだな。ということで、市場を徘徊することにした。足ツボマッサージの店も何軒か点在していて、けっこう心が惹かれたのだが、とりあえず物欲を満たすべし。とはいうものの、今回の旅は単独特急旅行でもあり自分への土産だけにしておこうと決めていたので、あまり土産っぽいものを買う必要がない。とりあえず仏グッズは買おうと思っていたので、そこらへんを中心に観てまわることにする。そう、このバザールは仏土産も多く取り扱っているのであった。
 アユタヤ遺跡の土産物屋でも売っていたのだが、木の板に書かれた釈迦図や真鍮の神仏像などは、かなり心惹かれるが、しかしこれは買わずばなるまい! とオレの財布の紐を緩めるだけの決め手に欠ける。飛天グッズがあれば買うぞとは決めていたのだが、タイの仏シーンには飛天はマイナージャンルであるらしい。図モノも像モノもなく、唯一見つけたのはオシャレに加工されたパネルボード。しかし図柄がいまひとつで、結局値段を聞くだけに終わってしまった。
 仏顔絵のランプシェードもけっこうよいかなとは思ったのだが、なんとなくかさばりそうな気がして購入欲が萎えてしまい、買わずじまい。今、考えるとやっぱり買っておけばよかったかなぁとちょっと後悔している。多分、一日の疲れが判断を誤らせていたに違いない。
 結局、購入したのは、歓喜天像と、友人知人用のミニミニ歓喜天像。そして仏手像。この仏手。デキがよくて買って正解ではあったのだが、左手右手で揃えようと、いろいろと組み合わせてじっくり選んで購入したつもりだったのだが、家に帰って開包してみればあら不思議。なんとなく感じていた嫌な予感のとおり両方とも左手だった。己のドジっぷりにがっくりきたが、しかし本当のところ大後悔という程でもないのだ。まあ、それはそれでいいかぁ。という気持ちなのだ。それは、タイに関しては必ず再訪するだろうという予感があり、そのときに今度は右手を手に入れればいい。そういう気持ちだった。第一、価格も清水の舞台から飛び降りなければならない程ではなく、映画1本分程度のリーズナブルなお値段だし。逆にこれをモティベーションにして再訪する気持ちが高くなってよかったという気分でもある。

 バザールでは値切ること。これが世界標準であるとオレは思っている。というわけで、仏グッズ購入に際しても、とりあえず値切ってはみたものの、本当に心ばかりのサービス程度で、あまり安くはならなかった。もともとそんなに高いふっかけ値段でもないし、まあいっか、と購入したわけだが、そのときに店のおばちゃんは「仏さまの品はあまり出るものでもないし、だから値段も儲けを見込んで設定してはいないのだ」と云うのだった。
 翌日、ガイドさんにそんなことがあったんですよねという話をしたら、やはりそのとおりで「仏関係のものは地元でも値切るようなものというものではないんですよ」ということだった。それにナイトバザール自体、どの店もそんなに高い価格設定をしていないらしい。だから観光客だけではなく現地の人も行くようになっているのだそうだ。市場全体になんとなく活気があり、胡散臭さもあるが一般的な夜の市場と比較し、健全な市場だなぁ、という印象があったのだが、あながちその感覚は間違いではなかったということだ。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-03 14:00 |  ├ タイ旅第二夜
遺跡の夜景
d0081682_1113378.jpg アユタヤ観光の最後を飾るのは、遺跡寺院のライトアップである。場所は先ほど観てまわった、ワット・プラ・マハタートとワット・プラ・シー・サンペットの2か所だ。敷地の中には入れないので、外周からの見物ということになるのだが、まあライトアップされた寺院は間近で観てもどうというものではないので、それはいい。夜明かりでの仏っさん夜景にはちょっと興味はあったが。

d0081682_1115721.jpg 陽も完全に地平に落ちて、夕闇から宵闇に変わる時間帯である。オレンジ色の人工光に照らされ、遺跡が濃紺の夜空に浮かび上がっている。月並みな表現ではあるが実に幻想的な雰囲気であった。ただ、これは写真に納めるには厳しいぞとも思ったのだった。どう考えても暗すぎて脚なりで固定しないとブレブレにぶれまくって写真にはならないだろう。しかし、オレは三脚を持ってきてはいないのだ。そりあえず、立ち木に寄りかかって身体を固定してみたり地面に置いてみたり、いろいろと実験してはみたが、あまりきれいに取れてはいないだろう。塀に囲まれているプラ・シー・サンペットのほうはその塀に置くことで、そこそこの努力した甲斐はあったが、それでも好みの画を切り取ることはできなかった。まあ、自らの記憶に残していけばいいじゃないか。とも思うのだが、まがりなりにも写真班の端くれ、(コンパクトデジカメとはいえ)やはりこだわりたいよな、思うように撮りたいよなという気持ちはあり、やはり簡易三脚くらいは持ってくるべきだったかと少々後悔するのであった。d0081682_1121927.jpg
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# by gdcl-nshb | 2007-02-03 13:00 |  ├ タイ旅第二夜
タイスキ!
 夕食はホテルのレストランでタイスキヤキ。6時ちょっと前という時間が早いのか、レストラン内には我々のグループしかない。ちょっと寂しさが漂ってはいるが、しかし夕食なのである。そこそこに腹が減ってきているのである。

d0081682_1057168.jpg タイスキというとオレの脳内イメージとしては真ん中に筒のおっ立った鍋で、小網に具材を入れてしゃぶしゃぶして、食す。というものなのだが、この店では電熱鍋で一気に煮る。そして食べる。鍋を各自がつつく事はなく国生さおり似の給仕さんが取り分けてくれるという、日本人のタイ鍋認識とは別種のものであった(まあ日本でも高級な鍋は仲居さんのリードだったりするが、なかなか出会えるもんじゃない)。もしかすると、オレの想像しているのはタイシャブで、ここで食べるのはタイスキ。ちょっとの違いが大違い。そういうことなのかもしれない。いずれにせよ、これはこれでありだとは思う。国生さゆりだしね。

 鍋の具材は、魚介類に肉団子、野菜といった定番の品揃えで、まあカルチャーショックを感じる事はなかった。タイっぽさといえば、例の好き嫌いのはっきりする香菜、パクチーだろうか。オレはパクチー大好き派なので、まったく問題なし。むしろじゃんじゃん入れてくれと思うくらいなのだが、そういう訳にもいかない人もいるのは承知しているので、国生さんが大人しく入鍋するのをながめるのであった。面白いことに、このパクチー。鍋に入る前、皿からはものすごく強い香りが漂っていたのにもかかわらず、煮込まれるにつれて香りが収まっていったのである。想像するに、熱が加わることで香りの成分が分解されてしまうということなのだろう。オレとしては、ちょっと、いやかなり悲しい現実であった。

 そんなこんなで、鍋の具が少なくなったところでご飯が投入される。〆はやはり雑炊なのである。これが日本人観光客に合わせてなのか、タイでもポピュラーな食べ方なのか聞きそびれてしまったが、出来上がった雑炊は普通に美味しかった。ちょっと薄味だったけれどそれもまたよし。米が長米だったので、日本のものと比べるとあまりベタつかず、それもまたよしか。

それにしても偶然同行することになった旅の仲間、いや単なる同行者達はいまだ遠慮があるのだった。つまり鍋に料理が残っていても手が出しづらいってことだ。君達本当に満腹になったのか? 特に学生男子チーム、君達はそんな量で足りるとは思えんのだが、いいのか、それだけで。それに食べ物を残すことに抵抗感はないのか。というようなことを思うのだった。もちろん口には出さないが。そして、そんな心の声の裏には、オレまだ食い足りないんだけど、云い出し難いんだよねぇ、この場の雰囲気じゃあね。というさらなる心の叫びがあったことは云うまでもない。もしかしたら、皆同じことを思っていたりしてね。

 ともあれ、満足でもあり不満足でもあるディナータイム終了。食べ終わるとちょうど日暮れ時。道路の向こうに沈む太陽が赤く空を染めていた。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-03 12:00 |  ├ タイ旅第二夜
有機の王と無機の王
d0081682_1051326.jpg 続いて、もうひとつの遺跡寺院、ワット・プラ・マハタートへ移動する。ここには「首の根」とガイドさんが云っていたが、つまりは地面に埋まっていた仏像の頭が大樹の根に絡まって地上に出てきていることで有名な寺院である。
 寺院自体はそこそこに広い寺ではあるが、クメール様式の円柱(トウモロコシ?)型の仏塔、スリランカ様式形式の円錐型の仏塔が乱立している。おそらくは遺跡としての塔は先のプラ・シー・サンペットよりはみしっと詰まっているような気がする。

d0081682_10513053.jpg 入ってすぐ右手に例の仏はいた。ガイドさん曰く「地元の人は写真なんかは撮りません。でも観光客は撮ってもいいでしょう」とのこと。まあ、記念写真よろしくバシャバシャ撮りまくるのは確かに失礼だものなぁ。と思いはするが、そこはそれ、欲望に正直に生きるオレ。シャッターをきりまくるのであった。
 まあ、せめてもの心遣いということでもないが、単に写真を撮ってハイおしまい。ではなく、寺院を一周したのちに、あらためてお会いする。2度目はもちろんきっちりとお礼まいり。と書くと違う意味になってしまうが、ここまで来て会うことができたことに対する感謝としてのお礼である。
 じっくり観直す気にさせるだけの力が仏頭にはあった。この仏、実に穏やかでいい顔をしているのだ。そして木の根に取り込まれているというよりも、色合いや肌つやが樹とほとんど同化しており、樹が仏であるようにもみえる。自然の造形のようにもみえる。ヘンに安直にスピリチュアルな感想を書くつもりはないが、なんかほっとするのである。確かにアユタヤめぐりのラストに相応しいなあ、と思うのであった。

d0081682_10515785.jpg 若干時間が余ったのか調整的に30分ほど休憩になった。寺院の一角に座りガイドさんと無駄話する。
 そこで「遺跡を見て悲しかったか」と聞かれ、うーんと思ってしまった。こちらが答える間もなく「悲しくないですよね」と云われてしまい、そこでこの話題は終わってしまったのだが、確かに、遺跡をみて悲しいという感覚はオレにはないなぁ、と思ったのだった。それは別に、遺跡が他人の国の話だからとか、破壊されたモノに心が薄情者だからとか(いや、薄情なのは事実だけど)そういうことではないような気がする。
 遺跡という過去の滅びの歴史を目の当たりにみて、滅んでしまったこと、蹂躙されていったことに対する悲しみというものは、確かにあるとも思うが、しかしそれ以上にオレの中では、結局、すべては諸行無常であって、そういうものだものな。という感覚があるのだ。
d0081682_10522535.jpg また、違う観点として、この遺跡自体は確かに滅んでいるのかもしれないが、遺跡の持つ力というか、建造物として存在する圧倒的な迫力を訴えかけてくる力はまだ強く、だからここは死んではいない。と思ったせいもあると思う。
 それはここだけではなく、プラ・シー・サンペットでもそう感じた。もっともそう思うのは、往時のバリバリ現役のときをオレは知らないからこそ云えることなのかもしれない。しかし少なくとも今、この場でこの姿しか観ることができないオレとしては、今感じたことがすべてだし、そういうことなのだろうと思う。
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# by gdcl-nshb | 2007-02-03 11:00 |  ├ タイ旅第二夜