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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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博物館そして弘前城
 続いては、いよいよ(?)弘前城址である。城址は日本全国、多くの城址がそうであるように公園として残されており、その名もずばり、弘前公園である。で、公園内には城址施設だけではなく、これまたよくあるとおり、ミュージアム系施設があったりする。というわけで、とりあえず向かうは、弘前市立博物館というわけだ。
博物館そして弘前城_d0081682_15371178.jpg 博物館としては小規模である。展示についても、地元津軽藩の武士にまつわる展示であり、先の長勝寺でいろいろと吹きこまれているせいで多少は楽しめたものの、基本的に歴史嫌いなオレである。そうそうじっくりみてまわるとまではいかなかった。博物館の隣に建てられた音楽ホールでは、中学生吹奏楽部(?)のコンクールが開催中で、建物のまわりのそこここで、プーカプーカと練習しており、心地よい騒々しさであった。そのせいで博物館の中のひと気のなさからくる静けさが逆に強調されてしまい、あまり長居する気にもならなかったということもあったのだろう。博物館についてはさらっと観てまわり、終了となった。

博物館そして弘前城_d0081682_15375263.jpg さて、いよいよ弘前城だ。とはいうものの、城自体はないに等しく、天守閣があるのみである。天守閣があれば立派に城だといってもいいのかもしれないが、ここの天守閣は少々異質で、本丸の敷地の真ん中に位置するのではなく、隅にポツンと建っているのだ。それもそのはず、元の天守閣は落雷で消失してしまい(といいつつ本丸西南隅にあったそうで結局中央にそびえたつということではなかったようだが)、諸般の都合で再建することができず、隅櫓を改築したものだそうだ。ともあれ、いままで観たことのない有様であることは確かで、そこについては、面白かった。
 もっとも城に関する感想はそんな程度である。オレは城好きなのだが、それは建物として魅力を感じているのであり、城の持つ歴史物語的なオプションについては、実際のところどうでもいいのだった。だから例えば城址であったり記念碑だったりという、そのもの自体ではなく、「そこでそういうことがあった」というような歴史の確認作業のみの装置については、正直惹かれないのだ。だから本丸城址といわれても、広い空間、庭園としての愉しみ面白みは感じてもそれ以上でも以下でもない。
 弘前城に関していえば上述の天守閣や、城址のどこにどんな部屋が展開されていたのかについての展示については割と愉しむことができたのだが、それはそれが城という「構造」を想像させることだできるからだ。

博物館そして弘前城_d0081682_15382034.jpg と、ひねくれたことを考えながら、城址公園を歩きまわる。公園からは、お堀端の桜並木を見下ろすことができる。弘前の桜は名所中の名所、旅雑誌でも旅広告でも春には必ず取りあげられるのは周知の事実である。だから、よほどもの凄いんだろうなぁ、と勝手に思っていたのだが、今回上から見る限りではそんなに広範囲に広がっているようでもなく、思ったよりもコンパクトなんだなぁ、やっぱり写真マジックなのかなぁ、と別の意味での驚きはあった。
 もっとも桜の咲いている時期ではないことは重々承知しており、そんな時期はずれでの勝手な推測は桜とってには酷な話なのかもしれない。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 11:00 |  ├ 弘前編
寺銀座再び。そしてフランクな案内
 午後は、再び寺見物からスタートである。
 長勝寺は。弘前でもっとも大きい寺で、門前の参道、禅林街の両脇には三十三の寺が軒を連ねている。まさに銀座。午前中に行った新寺町は片側だけだったので(本当はそうではないのだけれど、受けた感覚としてはそうだった)、単純計算で倍。倍だからどうだという話ではあるが、ロケーション的に右も左も寺てらテラというのは、それなりにインパクトがあるのだ。

寺銀座再び。そしてフランクな案内_d0081682_1530527.jpg そんな寺通り(寺自体周辺一体に散在しているので明確な境があるわけでもないのだが)に突入する手前にも、見どころはあり、そのひとつが栄螺堂。螺旋状の一本通路で階上に登る特徴あるお堂である。オレは会津若松のそれで中に入ったことがあるが、遊園地みたいでやたらにユニークだったなぁという記憶がある。さて、弘前の栄螺堂だ。天保10年に豪商中田嘉兵衛が寄進したそれは八角形、朱色(?)で小ぶりのお堂であった。通り沿いに普通に、あたりまえに、建っていて観光スポット的なデコレーションなどはない。だから人出はそこそこあるのにお堂に注目しているのはオレだけだった。もしかしたらいたのかもしれないが、この堂は中に入る事はできないので、人が集るような感じではないということなのかもしれない。しかし建物としての面白さはあって、オレ自身としてはけっこう満足ではあった。
寺銀座再び。そしてフランクな案内_d0081682_1530791.jpg 栄螺堂のそばには禅林街への境界線的な門がある。それなりに広い道路だから門自体もそれなりに威風堂々といってもいいだろう。色は漆黒で、通り名はそのままズバリ黒門。これまた誰もが普通にくぐりぬけているのだけれど、けっこう見どころだ。この門のすこし手前には隣筋へ抜ける脇道がありそこにもやや小さい門があり、こちらの名はは赤門。もちろん色もその名のとおり。ともあれ、弘前は寺社仏閣に関係する木造建築が本当に街中に溶けこんでいるのだなぁと思うのであった。

 黒門をくぐると長勝寺までは一直線。軽い坂道となっている一本道の参道を、オレは自転車で疾走する。寺に着くと、他の寺とは違い、あまり人気が少ない。この寺は津軽藩の菩提寺であり、市井の人々のお彼岸のご先祖様へのお参りと無縁だからなのだろうか。推測の域を出ないわけだが、ともあれ、ひと気が少ない分、逆に第一寺ならではの雰囲気を醸し出しているように思う。
寺銀座再び。そしてフランクな案内_d0081682_15313159.jpg 誰に見咎められるわけでもないので寺内を自由に見てまわる。まあ別に悪さをしようと思っているわけではなくても、人目がないと心も自由度が増すというわけだ。
 本堂は大改修中で、中に入れなかったのは残念だが、脇の小堂は開きっ放しで、気軽にお邪魔し、中に林立する羅漢達をそれこそためつすがめつガン観する。さらに寺内を奥に進むと津軽藩主のお歴々の廟があるのだが、そこは至る道には鉄網があり閉じられていた。さすがにそこまで自由に観てまわることはダメなのだなと思い、わきを見ると「拝観料300円」と書いてある。なるほど、そういうことかと社務所へ行き、声をかけ拝観をお願いする。
 と、一瞬、?的な表情をされ、そしていいですよという返事。しばらく待つとお坊さんが出てきて、案内してくれることになった。
 なぜそういうリアクションになったのかというと、
 坊さん曰く、拝観料といってはいるが、寺内はどこでも自由に観ることができる状態になっており、本堂もたまたま改修中なので立ち入りできないようにしているが、修理していなければ本当に自由に入ることができる。先にオレ一人で観ていた五百羅漢達のお堂も、実は普段ならば羅漢だけではなく中央に据えられた厨子もご開帳状態なのだそうだ。厨子の中には阿弥陀三尊像が控えているのだけれど、現在ちょうど秋田の博物館に出張中で空っぽだから閉めているだけということだ。オレとしては三尊に会えなかったのは少々寂しかったことは確かだが、厨子自体美しくその扉を観ることができたことを思えば、これはこれでよかったのかなとも思う。
 そんなかなり古くかつ美しい(であろう)仏像でもあるにもかかわらず、本当に自由で気楽に置いてある。「平気なんですか?」とたずねると、そういう質問はやはり多いらしい。しかし、地元の感覚としては、「いつも普通にそこにあるものなので、別に隠すようなものでもないなぁ、という感じなんですけれどね」ということだそうだ。
 そんな感じのフランクな寺だから、もちろん奥の廟についても、別にクローズドにするつもりなどなく、普段ならば自由に入ることができる。本堂の改修工事中で資材などが散乱していて危険だから、案内役と一緒に入るようにしているわけだそうだ。たぶん、一人で中に入ることも、いいとは云わなかったけれども自己責任の範囲内で黙認されるかもしれない。
「つまり拝観料というよりは、案内料なんですね」と、坊さんは云った。確かに、かなり面白可笑しくかつ率直素朴な、長勝寺や津軽の話を聞くことができたのだった。それはとても面白かった。
 例えば、この寺には津軽藩主や奥方の墓がある理由や、それにまつわる伝説。そして、5代目からの墓が廟ではなく、石塔になってしまっている理由などは歴史裏話的で面白かった。特に一代目為信、二代目信枚は名君だったが三代目信義がダメで、四代目信政がまた名君だったなどの、人物評を交えての語りは、歴史に興味がない俺でもふんふんと聞いてしまう。そもそも三代目までは元々この寺に墓があったが、四代目は何を考えたか宗旨変えして墓も報恩寺に作られたのだが、後世になってやはり一ヶ所に(つまり長勝寺に)集められたのだそうだ。
 また、この寺のそもそもの建立由来は、山を切り崩して更地にしてできたものであり、それは本当は弘前城をつくるためだったのだけれども、徳川幕府からダメ出しをもらって建てることができず今の場所に建てられたはいいが、城の背後ががら空きとなってしまう。その守りのために、じゃあってんで、今の場所に移築された。さらに周辺に点在していた寺も無理やり(!)集めて寺群としてしまった。そのために今のような密集地となった、というもの実に面白い話であった。
(ガイドによると、二代目藩主信枚が、領内を宗教的にも統一しようと、津軽一円から主要な曹洞宗の寺院を集めてできた、とされている。オレは宗教的な理由というよりは城防御の意味合いのほうが強いというのが正しいのではないか、と思うな)
寺銀座再び。そしてフランクな案内_d0081682_15322320.jpg オレが一番面白いと思った話は、やはり仏像がらみのネタで、この寺には立派な三門があるのだが、その中に薬師十六羅漢が安置されているのだそうだ。これまた別に自由に観ることができたのだけれど、三門自体が痛んできてしまって登ることが危険になってしまい、結果羅漢がなんちゃって秘仏になってしまったのだそうだ。秘仏にもいろいろあるけれど、信仰的な意味ではなく、仏像自体の痛みでもなく、建物に左右されてしまっているというのが面白い話だった。しかし観たかったなぁと思うばかりである。
 仏像である。そうだったのだ。寺を巡っているのは歴史探訪ではなく、仏像にあうためだった。本堂にいるべきご本尊だが、改修中の現在は、別室、社務所のほうに仮住まいしているのだった。もちろん案内してもらうことができた。この寺の本尊も文殊だった。1メートル余のわりと大きめの文殊菩薩は端整な美しさであった。本来は薄暗い本堂にいるのだけれど、今は明るい別宅である。もうかぶりつきでガン観することができた。もっとも坊さんと一緒なので、あちこち角度を変えて舐めまわすまではできず正座して正面からの対話的対面。残念といえば残念。しかしたまにはこういう出会いもいい。

 ところで、オレが坊さんに案内されて歴代城主の墓に向かうとき、ちゃっかり勝手に同行してきた親父がいた。なんだよ、タダ乗りか? と思いつつ、坊さんも特になにもいわかなったので(上述のようにゆるい感じだったので別に咎めるもなにもないだけのことだったわけだが)、オレも特になにもいわなかったのだが、オレが帰る段になって、三門で旧に話しかけてきたのだった。「寺が好きなのか」「どこから来たのか」「どのくらいまわったのか」等など。単なる話好きの親父だったわけだが、普通そこまで馴れ馴れしく話しかけられることがないので少々面食らってしまった。まあ、それだけのことである。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 10:00 |  ├ 弘前編
りんごづくしランチ
 昼食の時間である。
 朝から今日の昼食はなんとなく、りんご料理でもあれば話のネタとしても、料理のレシピとしても面白かろうなぁ。と思っており。そして、あるならおそらくここ、りんご園だろうなぁ。と思っており。というわけで、レストランにりんご料理のメニューがあったのは、まさに「してやったり」なのであった。
 いくつかのメニューの中には、もちろんりんごカレーもあったが、りんごとカレー(とハチミツも)は、あまりにも普通。いや本当は普通じゃないのかもしれないが、現代に生きる日本人としては、普通にDNAに刻まれているはずだ。だから、カレーはカンゲキー、というほどでもない。もっと意表をついたメニューをオレは食べたいのだ。
 というわけで、選んだのは、リンゴカツ定食。名が示すとおり、りんごを豚肉に挟んで揚げたカツである。ロース肉とひれ肉を選べるけっこうこだわりのメニューでオレ好み。それだけではまだインパクトに欠けるので、ライスをリンゴライスに変えてもらう。リンゴライスというものがあったのだ。これも名前のままで、りんごと椎茸の炊き込みご飯である。一瞬、「!?」とは思うが、しかしマストトライの一品だろう。
 あわせてりんご地ビールを頼もうと思ったのだが、あいにくと品切れ中で、これはちょっと残念。
りんごづくしランチ_d0081682_15235540.jpg さて、食す。カツは思った以上に普通に美味しく、云い換えるとりんごがあまり主張していないのが少々残念だった。むしろリンゴドレッシングとリンゴ入りとんかつソースというフレーバーのほうに軍配が上がったと思う。
 リンゴライスは一口食べた瞬間、りんごの酸味が広がって、なるほどこれはりんご料理だと実感することができ、楽しむことができた。いずれにせよ、とことんりんごづくしの昼食となったのだった。

 さて、さらにデザートもリンゴタルトなどのケーキものでも食べるべきか? 思っていたのだが、メインディッシュでけっこう腹がいっぱいになっていた。そして、りんご園に来たら当然りんご狩り、しかる後に、りんご丸かじりという一連の流れは必須なのである。そのための胃袋に余裕を用意しておく必要もあるのだ。というわけで、デザートは、小細工なしのもぎたてりんごだ。
 というわけで、りんご狩りに向かう。
 りんご畑には多くのりんごがなってはいたが、ここしばらく多くの人が訪れたおかげで、残りが少なくなってきており、ひとり4つまで。と制限されていた。もっともひとりで4つも一気に食べるなんてことはできないだろうし、4つで200円(正しくは1キロ200円だが、概ね、4つで1キロくらいだという)という良心価格。十分でしょう。
りんごづくしランチ_d0081682_15251635.jpg 案内のお兄さんにべったりつき添われ、美味しいりんごのアドバイスを受けながら、厳選した4つ。本当は食後のデザートとして、その場で1個くらいは食べようと思っていたのだけれど、なんとなく食べそびれてしまい、持ち帰ることとなった。結局、夜食に1個。そして残る3つは帰宅して、のんびりと味わうのであった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 09:00 |  ├ 弘前編
りんごについて学んでみよう
りんごについて学んでみよう_d0081682_15201948.jpg 好物も過ぎれば飽きるもの。故に愛情を長持ちさせる秘訣は適度な距離感なのだ。ちょっと寺ばかりをまわりすぎているんじゃないか? そう飛ばしていては気持ちが萎えちゃうんじゃないか? ここでひとつ休憩をいれてはどうなのよ。と、訳の判らないことを考えならがら自転車は疾走する。なんのことはない、次の物見遊山ポイントが寺じゃないことについて、云い訳をしているわけだが、しかし別に一人旅なのだから誰はばかることなく行けばいいのだ。要するにはしゃいでいるだけなのだ。
 さて、そんなわけでジャンルを替えて次に向かうのは、弘前の名物。りんご。弘前市りんご公園である。

 自転車で20分程西に進む。それまでの街並みがいつの間にか変化しており、周囲はりんごの果樹園が現れはじめていた。時期的に赤く色づきはじめている、まさに食べごろのりんごが実っている。そんな情景を見せられてしまってはいやがおうにも気持ちは高まらざるを得まい。
 と、テンションは上がりつつも、しかし心と身体が裏腹な昨今、微妙に自転車を漕ぎつかれてきはじめており「確かに青空の下で、自転車は気持ちいいけどさ。早くつかねぇかなぁ」と内心ぼやきだしたというのが正直なところだったりもする。

りんごについて学んでみよう_d0081682_15192668.jpg そんな拮抗する気持ちのマイナス面が優勢になるかならないかのちょうどいいタイミングで、公園に到着する。目の前にりんごの果樹林が広がっていた。りんご公園は、公園というよりもまさにりんご畑で、様々な種類のりんごを狩ったり買ったりすることができる。もちろんそれだけではなく、小高い丘の上の展望台からは遠く津軽富士を堪能できたり、ミニミュージアムではりんごの知っているようで知らない知識を学ぶことも出来たり、とそんな場所であった。
 
りんごについて学んでみよう_d0081682_15194451.jpg 晴天の下ではあるが、まずはミニミュージアムでお勉強だ。一部屋だけのささやかなミュージアムではあるが、そこには本場ならではの(?)りんごの情報が満載なのであった。りんごの品種の説明はもちろんのこと、りんごの歴史なども実に的確かつ簡単に学ぶことができて、楽しかった。
 そんな中でもっとも面白かったのはりんごの効能の説明である。健康にいいとか、そういった普通の効能はもともと知っているような内容であり、そうだよねぇ、という追確認程度の関心しかない。しかし、ここの解説はもっと具体的なのだった。
曰く「リンゴ酢で加齢臭が退治できる」
曰く「リンゴ繊維でワキガ臭が退治できる」
なんとピンポイントな効能であろう。なんとオヤジ感涙の効能であろう。素晴らしい。今、まさに重要。これはりんごは食べなければいかんなぁ、と決意も新たにするのであった。

りんごについて学んでみよう_d0081682_1520164.jpg 続いては外に出て、果樹農家の家を移築したらしい茅葺屋根の施設を見物に行く。後方に広がるりんご畑を借景し、いかにも雰囲気のある古民家の中では、ちょうど語り部の話会の時間であった。ふたりの近所の(?)年の行ったオバチャンたちが、ボランティアなのか仕事なのかは判らないが訪れた客に民話を聞かせてくれるというものだ。せっかくなので聞かせていただくこととする。
 その日のオーディエンスは子どもが多かったせいで(地域の高校生がボランティアで小学生たちを遠足に連れてきていたのだ)、子供向けの話をふたつするよ、ということになった。
 ひとつは老夫婦の家に一晩の宿を借りた侍の恐怖の一夜「はんごろし」の話。もうひとつは、少女の最後が哀しい「赤い櫛」という雪女の話。どちらも紙芝居を使いながらの話で少年少女たちは騒がしいながらにも楽しんでいたようだった。オレとしては話の最後につける「とっつぱれ」というおわりの言葉が面白かった。
 そしてそのあと、今度は大人向けにということで、おしゅうの金儲けと母子の情愛の「般若面」の話を聴く。
 いずれにせよ、話し慣れているのだろう、聞かせどころのツボが判っているとでもいうべきであろうか、大人でもけっこう楽しめたのだった。民話の持つ、楽しさ、哀しさなどが、伝わった。などと書くと、カッコいいのだろうが、ようは単純に「おもしれーなー」と聞き入っていただけだったとさ。とっつぱれ。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 08:00 |  ├ 弘前編
お彼岸の風景 寺銀座
 弘前の街には寺が多い。その理由の一端は後で判るのだが、それはそれとして、特にここ、新寺町は23寺が軒を連ねている。宗派もいろいろと取り揃えられているそうだ。どの寺も観光地としての寺でも仏像としての寺でもなく、まさに地元に根ざした、人々の普通の信仰のための寺であった。
お彼岸の風景 寺銀座_d0081682_15141482.jpg 普段ならばそういう寺はひっそり静かにあるのだが、しかし、訪れた日がドンピシャお彼岸ド真ん中という特異日であったため、大勢の人々が集まってきている。皆、手に花を持ち、家族連れで先祖に会いに来ている。自家用車で、タクシーで、歩いて。様々な方法で集まってきている。騒然としているといってもいいくらいの大賑わいなのであった。
 寺の外では、門構えのある店だけではなく露店も多く出てきていて、花やお供え物を売っている。プリミティブで、素朴で、ヘンに小理屈に捏ねくりまわされていない、身の丈サイズの信仰、いや信仰と言う言葉自体違うような気がする。神さまに相対するのでははなく、先祖を敬う心としての宗教、信心とのありようは見ていて、とてもいいなぁ。健全だなぁ。と思うのだった。自分の上位存在に何かを委ね、またその架空の協依存の枠外にある者を排除しようとする宗教は所詮は頭でっかちの青臭い妄想でしかない。

 話がずれてしまったが寺である。集まる老若男女たちはご先祖様への供養に来ているわけだが、そんな中、オレ(だけ?)は見仏なのである。あまりに寺が多くすべての寺を観てまわるつもりは元々なかったが、それでも、いくつかの寺には実際に入り込み、仏っさんとの邂逅を果たすのだった。どの寺もお彼岸ということもあり、境内は大開放の御開帳で、こりゃ実にありがたいのである。
お彼岸の風景 寺銀座_d0081682_15143233.jpg もっとも、仏像自体はそんなに昔からのモノではなく、新しい印象だった。本当に新しいのか、はたまたメンテナンスがしっかりしているのかはよく判らないが、ともあれ金箔に光る、あるいは漆色に黒光りする端整に整った表情の仏っさん達。なんとなく身近なアイドルっぽくてこれはこれでいいものである。オレ的にちょっと嬉しかったのは、新寺町の寺々にはオレがもっとも愛する文殊菩薩が多かったことだ。津軽と文殊菩薩にはどういう関係にあるのかはあまりよく知らないのだが「どの寺も本尊は文殊」みたいな印象を感じるくらいに多かった。もっとも、すべての寺を観てまわったわけでもなく、たまたま立ち寄った寺が文殊だっただけなのかもしれないが、仮にそうだったとしてら、それはそれでかなりすごい出会いの確率ではある。

お彼岸の風景 寺銀座_d0081682_1514532.jpg 寺を観ている中でもうひとつそれまでの寺とは異なる文化を感じたのは、霊廟のすごさだった。今回のように寺の奥の奥まで入り込んだことも少ないので、単にこれまで出会うことがなかっただけなのかもしれないが、こちらの寺は本堂脇に、あちらの寺は地階に、と、区画をきった廟があったのだ。もちろんそれぞれの家族の先祖が祀られているというわけだが、しかし数十センチサイズの仏壇がびっしりずらりの並び、漂う線香の煙と小窓から差し込んでくる陽の光という、いかにも荘厳な絵づらにちょっとやられてしまったのであった。
 こういったロケーションをいままで観たことがないわけではないが、しかしそれは中国や韓国の寺でのことで、日本でははじめてだったのだ。そんなわけで逆に、異国的、異文化的な感じで見入ってしまったというわけだ。勝手に想像すると、雪深い北国において祖先の霊を祭るため(仏教だけどね)にできてきたシステムなのかな、とも思う。本当のところはどうなんだろうか。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 07:00 |  ├ 弘前編