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南船北馬inblog

【旧:南船北馬(HTML版)はこちら】
【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
by gdcl-nshb
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夕暮ならメインイベントに
 ホテルに戻り、正式にチェックインし、身軽なはずなのに何気に増えていたみやげもの(ほとんどが手ぬぐいだ(笑)、あとりんご)を下ろし、昨晩の深夜バスと日中の自転車漕ぎでベタついた身体を、ようやくシャワーでリフレッシュし、これでひと心地がついた。
 さて、いよいよ、本日の、というか今回の旅のメインイベント「奈良美智+grafAtoZ」、その会場である吉井酒造倉庫へ向かう。

 奈良作品について思うことは、ワンアンドオンリーとまではいわないが、自分だけのモチーフ---この場合、目つきの悪い女の子と犬だが---それを「みつけてしまった」ということが強いな、ということだ。飽きられることの危険性はあれど、自分だけのモチーフとはつまり作家の個性、それをみたら「ああ誰だれの作品」と判る強力な個性であり、そのことにより他者の追随を許さない。というか、追随したら真似、エピゴーネンだからね。というわけで、その個性を全開した個展は作家の脳内を旅することを意味する。
 と、ちょっとカッコつけた云いかたをしてしまったが、今回の旅は奈良作品をまとめてかためて堪能しようというわけなのである。

夕暮ならメインイベントに_d0081682_15535371.jpg 吉井酒造倉庫は、その名のとおりかつては酒造蔵。それ自体がレンガ造りならではのレトロで重厚な雰囲気である。おりしも夕暮れ時、赤茶色のレンガはより赤く燃えるようであった。そんなたたずまいの倉庫の壁一面に奈良美智おなじみのキャラクターの巨大なバナーがぶらさがり、アンマッチな空間を作り上げていて、逆にそれがアート空間という非日常的場所であることを納得させる。

 外側からではさほど大きな倉庫とは見えなかったが、中に入ると思いのほか広い空間である。そこに無数の(いや、AからZまでだから26だが)小屋があり、さまざまな観せかたで奈良作品を体験していく。それは「観る」というよりは「体験/探検」といったほうがよいだろう。観せかた自体も観る者自身も、作品でありイベントでありインスタレーションであり、つまりは現代アートのひとつのありようなのだ。

 しかし。その物量たるや、とんでもない量で、駆け足で観たとしても1時間、じっくり観るつもりになれば半日、いや一日あっても足りないかもしれない。オレ自身はせっかちなので2時間くらいだった。それでもやや駆け足だったかなぁ、と思ったので、実際には半日かけるくらいがちょうどいいくらいだろうか。いずにせよ、本当に膨大な作品群を一気に身体に詰め込まれたという印象であった。充実していたともいえるし、お腹一杯でもう食べられませんという気分も正直あった。
 おそらく、今後、奈良品を個展で、と考えた場合は、キャパシティの違いはあれど、これ以上の作品的密度は求められてしまうだろうし、そうでなければやる意味もないように思う。現時点での集大成であるといっても過言ではないだろう。本人もしばらくは個展はしないと語っているときく。確かにそうなるだろうな、と実感するばかりである。

 もうひとつの感想は、展示そのものとは離れるが、訪れている観覧客の多さについてであった。単に来場者が多いというだけではなく、客層が小さい子どもからお年を召した方まで実に幅広いのである。
 自分がいた時間だけの感想なので実体とは違うのかもしれないが、しかしオレが勝手に思う奈良作品のメインターゲットであろう若いアート好き女性だけではない。もちろんそういう感じの人達が一番多かったし、しかもどうやら全国津々浦々から集まってきているらしいが、それだけではなく本当に近所の親子が小さな子どもをつれて、とか、お彼岸で田舎に帰ってきているついでに家族で、とか、そんな感じ。コアな奈良好きの奈良ず者ばかりではなく、普通に日常生活の余暇として美術を観に来ている。そんな普段と地続きで美術と向き合っている状況もあるんだなぁということが驚きであった。そして実にいいなぁと思うし、ちょっと羨ましいなとも思うのだった。

夕暮ならメインイベントに_d0081682_15542476.jpg 観終わって外に出ると日没。陽が西の山に沈んだばかりで、茜と群青の入り混じった空であった。一日が終わった達成感と寂寥感を感じつつ、会場を後にする。ときれいにまとめたかったが、物欲王としてはそのまま帰るわけにはいかない。土産もの売場でまたまた時間を使うのであった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 16:00 |  ├ 弘前編
熊野奥照神社でネ申に出会う
熊野奥照神社でネ申に出会う_d0081682_1550938.jpg 返す刀(七枝刀?)で、もうひとつの神社、熊野奥照神社をお参りする。なんの理由か、大きなガマガエルの像が奉られていたりするが、B級(?)オモシロスポット的な神社ではなく、至極真っ当な神社である。先ほどに続き、観光客とは無縁ののんびりとした神社で、おばちゃんが掃き掃除をしている。傾きだした陽光も軟らかく、居心地のいい感じのする場所であった。
 参道に3匹の猫が日向ぼっこをしていた。これが全然人を怖がらないのだ。近寄っても逃げもしないし、むしろ積極的に近寄ってくる。なれなれしいというか、人懐こいというか、ともあれ猫好きでなくとも、これはタマラナイはずだ。というわけで、しばし猫と戯れる。癒されるオレであった。

熊野奥照神社でネ申に出会う_d0081682_1550345.jpg 目先の愉しみにつられて、神様への挨拶が後おくりになってしまった。すまぬすまぬと、社に行くと、一般的な神社とはちょっとだけ違うような感じを受けた。よく観ると、社に下がる鐘のヒモが3本なのだった。確かに大きな神社ならばそういうこともあるだろうが、ここ奥照神社くらいの規模にはちょっと多すぎるような。となればなんらかの理由があるはずで、例えば、奉られている神様が3人さんいるとか。
熊野奥照神社でネ申に出会う_d0081682_1551256.jpg などと、勝手な推測をしながらお参りする。そこではっと気づくのだった。実は先の猫は神様の化身では? なにか強い視線を背中に感じ、振り返ると先の三匹の猫達は逃げも隠れもせず先ほどと同じ場所で、グデレ~ンとだらけたり、毛づくろいをしながらも、しかしオレのことを観ているのだった。そうか、なるほどなるほど、やっぱりね。そういうことなのね。
 半分冗談半分本気で勝手に納得しながら、お参りを終え、神社を後にするのだった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 15:00 |  ├ 弘前編
全国の八幡宮は地下でつながっているというウソ
 時刻も3時をまわり、というよりは4時に近くなり、季節はまだ9月ではあったが、さすがは北東北、東の国である。陽が落ちるのが早い。照らす光が橙色に近く、夕方の雰囲気を醸し出しはじめていた。というわけで、自転車観光のフィニッシュは近い。
 ホテルにもどる途中(といいつつちょっと寄り道ぎみの)の場所にある、2つの神社にお邪魔する。
全国の八幡宮は地下でつながっているというウソ_d0081682_15481137.jpg ひとつめは、弘前八幡宮。時間が時間だけに、なのか、はたまた普段からなのかは、判らないが(多分後者のような気もするが)ひと気のないんじ神社ではあるが、八幡宮の名を持つとおり、弘前の神社の中心なのだった。確かにそこそこ広く、例えば七五三とか年始とかの時期にはあるであろう人混みを想像することはできる場所だった。
 軽くお参りする。
 寺と違って神社はちょっと怖い。オレは、昔は神社のほうが好きだったのだけれど、今は何故か寺のほうが気安い雰囲気を感じている。寺は、なにやってもまあよきかなと云って許されそうだが、神社だと頑固爺よろしく、こっぴどく怒られそうな感じがあるのだ。誰が? それは仏様と神様だ。まあ、気分の問題だろう。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 14:00 |  ├ 弘前編
街並み保存地区といいつつ
 ねぷた村の近所一帯は昔ながらの街の姿が保存されているのだという。その名もまんま「街並み保存地区」。というわけで、とりあえず一周とばかり、ぐるり駆け足で(自転車だから)まわる。
 正直なところ、弘前という明治期の洋館を抱える町から想像される、例えば金沢のような典型的な昔の街並みではない。一応、侍町の風情を残す街並みということになっているが、観光地区的に残されたというほど、厳格な保存がされたいたわけではないようで、オレの目線からは、ごく普通の生垣や瓦屋根の家といった昭和の空気感漂う田舎の住宅街であった。もっとも、そんな街並みは、実はすでに今現在の日本にはない、原風景的街並みであり、近代としての歴史としての街であるといっても間違いではないのだ。ただ、オレ自身記憶の中にリアルに残っている風景であり、自らが観たことのない日本の古い街並みという異国の風景ではない。古都の街並みとはつまり時間によって隔てられた異国であり、(時間的にも空間的にも)自分にあまりに近しい街は、観光の対象にはならないのではないだろうか。
 ただ少なくとも、ほっとするひっとする空間であることは確かだ。それはそれで必要なのだとも思う。
街並み保存地区といいつつ_d0081682_15453016.jpg そんな街並みの中に、これは本物の(?)旧家がいくつか残っており、観覧自由の家として管理されている。3つほどあるらしいのだが、オレが観たのはそのうちのふたつ、旧伊東家、旧梅田家である。そこは、黒光りする大黒柱を持つ、いかにも昔の「家」であった。オレの祖父母の家がこんな感じだったので、それなりに郷愁はある。もっとも日本人なら誰でも、経験や体験がなくても、懐かしく感じるかもしれない。それはメディアによって刷り込まれた記憶なのかもしれないし、ユング曰くの共記憶の為せる技なのかもしれない。
 と、振り返れば色々と妄想を膨らますこともできるわけだが、そんなことはそのときは考えもせず、「古い家っていいなぁ」と単純にお宅訪問気分を堪能していただけであった。それは「入るときには一声かけて」と玄関に書いてあり、実際に、屋内では管理人のおばちゃんが炬燵に入って待っているという、ヒト様の家にお邪魔した感覚が溢れていたせいであろう。
 そんな状況下、物見遊山の観光客としては、若干、いやかなりいたたまれなくなり、早々においとますることとなってしまったのだが。

街並み保存地区といいつつ_d0081682_1546121.jpg もうひとつ、これまた昔から商売している店があり、ここが観光ポイントとなっているそうだ。実は街並み保存地区に入って一番はじめに目についてのだが、その店は酒屋。なので「お。いい感じの酒屋あるじゃん」とだけ思ったのだった。結局、観光よりも酒か、オレは。
 いや、店構えがグッときたからこそ、店に注目したわけで、その意味においては、観光目線だよ、とひとりで云い訳をしたりもする。別にどっちでもいいのだけれど。
 で、あらためて店内へ。店の奥には有料の資料館が設けられていたのだが、(例によって)あまり興味がわかなかったので、本当に酒の物色だけ行う。いくつかこれはどうかな、と思う酒もあったのだが、そのときは何分にも自転車でめぐっているところであり、籠にあまり重い荷物を入れて、漕ぐのがつらくなるのも嫌だなぁ、という軟弱な意識が働いたのと、冷蔵保存していない酒を買うというのがちょっとリスキーだったので、結局何も買わずに終わった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 13:00 |  ├ 弘前編
ねぷた村でねぷたを独学す
 公園のすぐ近く、道路を挟んでお隣には、津軽藩ねぷた村なる体験型(?)観光施設がある。大型バスが何台も停まることのできるスペースを持ち(これは弘前城観光用込みで、なのかもしれないが)、弘前土産の店がいくつも軒を連ねている。団体客御用達というか、団体客をあからさまにロックオン的な、そんな感じの観光施設である。もちろん土産物だけならオレとしては寄る必要もないのだが、それだけではなくミュージアム的施設も併設されている、というか、それがメインなのであった。具体的には、ねぷたの実物の展示あり、津軽三味線実演あり、郷土の遊び、工芸の公開製作等々、体験型観光施設である。
 正直云って、入ろうかどうしようか迷うところではあったが、まあ、せっかくここまで来ておいてそのまま立ち去るのもどうかと思い、入館する。
ねぷた村でねぷたを独学す_d0081682_15412785.jpg いきなりねぷたの山車がお出迎えである。高天井の大きな倉庫のような会場に、数台のねぷたが置いてある。これは迫力がある。また、祭囃子の太鼓を叩かせてもらえる体験もできる。これは時間を決めて行っているようで、オレが入ったときは、ちょうど前の回の観光客がドンドンとリズムを刻んでいた。細長い棒といったほうがよいようなバチで太鼓を叩けば、低振動が場内に響き渡る。下っ腹にズンとくる。スタッフの兄さんは「胎教にいいよ」と笑っていたが、あながち出鱈目でもないかもしれない。叩きモノはこんな直接体感できるのがいいなぁ、と思いながらながめるオレであった。

 そんな観光客ご一行は、観光バスで来たらしく次の時間が迫っているのか、あまりじっくり観ることができないと云い、裏動線でそそくさと移動していった。あっという間にひとりぼっちにさせられてしまうオレ。まあ、元々一人旅だし放し飼い上等だし別に問題はない。というわけで、ねぷたの山車や絵師のパネル展示、模型などをじっくり落ち着いてみることができてかえってラッキーであった。
ねぷた村でねぷたを独学す_d0081682_15415998.jpg 展示棟を移ると(?)そこには、ねぷたの歴史のコーナーとなっていた。おどろおどろしい生首のねぷたなどがあったことに対して、往時の庶民のメンタリティに面白味を感じたり、金魚ちょうちんに味わい深いものを感じたりする。和風テイスト好き、風流好き、伝統モノ好き、というオレのリビドーに訴えかけてくる。

 続くは、漆塗りや木工などの郷土工芸の公開実演製作(たぶん販売も)である。ただしここはさらっと流し観程度に押さえることとした。その訳は、時間がない。というよりは興味がないに近い。もちろん工芸品が嫌いなのではない。作っているのを漫然と観るだけなのに興味がわかないだけなのだ。それなりにきちんと観れば見ごたえもあるのかもしれないが、如何せん時間がかかる作業を観続ける根気がオレにはない。それに観るよりは作るほうが好きなのだ。どうにもひねくれているなぁ。

 次は、津軽三味線の実演である。さほど広くない、舞台というにはあまりにも狭い小あがりのような舞台で、若い青年とおばちゃんのペアによる演奏がちょうど行なわれていた。当然観客も多い。さすがにこれは聴くべきだなと、すみによって拝聴することとなる。だが、演奏はちょうどクライマックス、聴きはじめて2分程度でショーは終わってしまったのだった。次回の公演時刻は30分後だそうだが、そこまで待ち続けることはオレには無理だ。いや、待ってもいいのだけれど、そうすると4時をまわってしまう。これからまわりたい場所がないわけでもないし、というか、今回の旅の本当の目的をオレはまだ果たしていないのだ。それじゃダメじゃん。というわけで、ここはパスすることにした。その分、夜に期待するのだ。

 最後の棟は、遊び独楽の実演。スルーしようとすると、お兄さんに無理やり呼び止められ、「これだけでも観ていってくれ」と、ひょうたん型の独楽を見学させられる。まわしてしばらくすると、独楽が勝手に分解し、いくつもの小さい独楽が飛び出してくるからくりは、確かに面白かった。しかし、無理にみせられてもなぁ、と内心思ったことも事実である。多分、インストラクターのお兄さんも、あまりにもギャラリーがいないことに持て余してしまっていたところにたまたまカモが、つまりオレが通りかかったので、強引につかまえたということなのだろう。オレだって、時間にそれなりに余裕があれば観ないでもないのだ。しかしそのときは、本当にあっさりとその場を離れてしまったのだった。で、ちょっと悪いことをしてしまったかなぁ、とも思う。次に来る機会があって、そのときに時間に余裕があったなら、ぜひ独楽の世界に浸らせてもらうとしよう。

 そんなこんなの駆け足見物正味30分程度。トータルとして思い返せば内容はけっこう充実している施設だと思う。もっと時間をかけて観てもよかったかもしれない。と、土産物屋で買ったりんごジュースを飲みながら思うのだった。

# by gdcl-nshb | 2006-09-21 12:00 |  ├ 弘前編