【南船北馬】:絶えず方々に旅行すること。昔、中国では、南部は川が多く船で、北部は陸地を馬で旅行したことからいう。そんなふうにしょっちゅう旅に出られたらどんなに楽しいことだろう…
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弘前の街には寺が多い。その理由の一端は後で判るのだが、それはそれとして、特にここ、新寺町は23寺が軒を連ねている。宗派もいろいろと取り揃えられているそうだ。どの寺も観光地としての寺でも仏像としての寺でもなく、まさに地元に根ざした、人々の普通の信仰のための寺であった。
普段ならばそういう寺はひっそり静かにあるのだが、しかし、訪れた日がドンピシャお彼岸ド真ん中という特異日であったため、大勢の人々が集まってきている。皆、手に花を持ち、家族連れで先祖に会いに来ている。自家用車で、タクシーで、歩いて。様々な方法で集まってきている。騒然としているといってもいいくらいの大賑わいなのであった。 寺の外では、門構えのある店だけではなく露店も多く出てきていて、花やお供え物を売っている。プリミティブで、素朴で、ヘンに小理屈に捏ねくりまわされていない、身の丈サイズの信仰、いや信仰と言う言葉自体違うような気がする。神さまに相対するのでははなく、先祖を敬う心としての宗教、信心とのありようは見ていて、とてもいいなぁ。健全だなぁ。と思うのだった。自分の上位存在に何かを委ね、またその架空の協依存の枠外にある者を排除しようとする宗教は所詮は頭でっかちの青臭い妄想でしかない。 話がずれてしまったが寺である。集まる老若男女たちはご先祖様への供養に来ているわけだが、そんな中、オレ(だけ?)は見仏なのである。あまりに寺が多くすべての寺を観てまわるつもりは元々なかったが、それでも、いくつかの寺には実際に入り込み、仏っさんとの邂逅を果たすのだった。どの寺もお彼岸ということもあり、境内は大開放の御開帳で、こりゃ実にありがたいのである。 もっとも、仏像自体はそんなに昔からのモノではなく、新しい印象だった。本当に新しいのか、はたまたメンテナンスがしっかりしているのかはよく判らないが、ともあれ金箔に光る、あるいは漆色に黒光りする端整に整った表情の仏っさん達。なんとなく身近なアイドルっぽくてこれはこれでいいものである。オレ的にちょっと嬉しかったのは、新寺町の寺々にはオレがもっとも愛する文殊菩薩が多かったことだ。津軽と文殊菩薩にはどういう関係にあるのかはあまりよく知らないのだが「どの寺も本尊は文殊」みたいな印象を感じるくらいに多かった。もっとも、すべての寺を観てまわったわけでもなく、たまたま立ち寄った寺が文殊だっただけなのかもしれないが、仮にそうだったとしてら、それはそれでかなりすごい出会いの確率ではある。 寺を観ている中でもうひとつそれまでの寺とは異なる文化を感じたのは、霊廟のすごさだった。今回のように寺の奥の奥まで入り込んだことも少ないので、単にこれまで出会うことがなかっただけなのかもしれないが、こちらの寺は本堂脇に、あちらの寺は地階に、と、区画をきった廟があったのだ。もちろんそれぞれの家族の先祖が祀られているというわけだが、しかし数十センチサイズの仏壇がびっしりずらりの並び、漂う線香の煙と小窓から差し込んでくる陽の光という、いかにも荘厳な絵づらにちょっとやられてしまったのであった。 こういったロケーションをいままで観たことがないわけではないが、しかしそれは中国や韓国の寺でのことで、日本でははじめてだったのだ。そんなわけで逆に、異国的、異文化的な感じで見入ってしまったというわけだ。勝手に想像すると、雪深い北国において祖先の霊を祭るため(仏教だけどね)にできてきたシステムなのかな、とも思う。本当のところはどうなんだろうか。
by gdcl-nshb
| 2006-09-21 07:00
| ├ 弘前編
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